国学跡(読み)こくがくあと

日本歴史地名大系 「国学跡」の解説

国学跡
こくがくあと

[現在地名]那覇市首里当蔵町一丁目

龍潭りゆうたんの東畔にあった首里王府の最高教育機関。平等学校所の課程を修了した按司親方など名門の子弟などが、国学奉行の推薦で入学した。一七―一八歳で入学し、七―八年間修養した。尚温王四年(一七九八)国王貴賤を問わず広く人材を登用するため国学設置の諭(国学訓飭士子諭)を発し、併せて首里三平等にも各一所の郷学の建設を指示した(球陽)。国学は当初、公学校所と称し、当時安国あんこく寺の北にあった中城なかぐしく御殿(現首里高校)に仮設されたが、翌年勘定座に移転、さらに同七年龍潭池のほとりに建設・移転し国学と改称した(沖縄教育史要)。「球陽」同年条には国学建設に伴って周辺を整備、首里三平等ととうまい村の士庶によって松崎まつざき前から国学までの道に嘉木が植えられ、白砂が敷かれたとある。開講にあたり国王は自筆の「海邦養秀」の扁額を掲げた(琉球国新建国学碑文)。運営管理者として国学奉行二人(按司奉行・親方奉行)、中取二人・筆者二人・公事拝三人が設置され、同六年に定められた国学奉行以下九名の俸禄額は按司・親方奉行は役知各二〇石、中取二人は俸禄各五石、筆者は俸禄各四石、公事拝三人は俸禄各二石であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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