国富村(読み)くんどみむら

日本歴史地名大系 「国富村」の解説

国富村
くんどみむら

[現在地名]平田市国富町くにどみちよう

平田村ぶんの西方に位置し、国留とも記した。西に旅伏たぶし山がそびえ、東には出雲平野北部の平地が開ける。村域は東西六町余・南北一五町余ほどで、南東西代にしだい村、北は西々郷さいさいごう村・口宇賀くちうが村。平田村上ヶ分に至る道(幅一間一尺―一間三尺)口宇賀村に向かう道(幅一間―一間三尺)が通じていた(明治六年「地理取調書」県立図書館蔵)。中世国富郷(庄)の遺称地。永禄一二年(一五六九)一二月二日の尼子勝久袖判山中幸盛書状(木佐家文書)によれば「国富之内金山散田」が喜作(木佐)四郎左衛門尉に安堵されている。近世初めには出東しゆつとう郡に属していたが(正保国絵図など)、寛文年中(一六六一―七三)以降は楯縫たてぬい郡に属した(元禄十年出雲国郷帳など)。慶長七年(一六〇二)の出東郡之内国富村御検地帳によれば田方は上々田九町七反余・分米一五六石余、上田一七町七反余・分米二六六石余、中田二五町七反余・分米三六〇石余、下田二七町七反余・分米三六〇石余、下々田一〇町五反余・分米一二一石余、計九一町六反余・一千二六五石余。畠方は計一二町三反余・九〇石余。屋敷数七八。元禄十年出雲国郷帳によると高一千八八四石余、寛文四年には本田高一千八五二石余で、新田はない。


国富村
くにとみむら

[現在地名]岡山市国富・国富一―四丁目・住吉すみよし一―二丁目

門田かどた村の北にあり、旭川下流左岸の岡山城下に隣接し、集落はみさお山西麓に開ける。文禄四年(一五九五)国富のうち八〇石が瓶井みかい(現安住院)に安堵・寄進され(同年一二月吉日「宇喜多秀家黒印状」黄薇古簡集)、慶長六年(一六〇一)には小早川秀秋が同様に、当村のうち八〇石を同寺に寄進している(「小早川秀詮寄進状」同書)。同一〇年備前国高物成帳(備陽記)宇治うじ郷のうちに村名がみえ、寛永備前国絵図によると高七四六石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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