国民の創生(読み)こくみんのそうせい(その他表記)The Birth of a Nation

改訂新版 世界大百科事典 「国民の創生」の意味・わかりやすい解説

国民の創生 (こくみんのそうせい)
The Birth of a Nation

〈映画芸術の父〉D.W.グリフィスが1915年に製作・監督した12巻,2時間45分の大作(1930年に音楽と効果,音入りの短縮版がつくられた)。アメリカ映画史上の偉大な古典であるとともに,そのあからさまな人種偏見(黒人差別)ゆえにアメリカ映画史上最大の恥ともみなされる作品。黒人の役はすべて白人が黒塗りで演じた。原作はトマス・ディクスンの小説(舞台劇にもなった)《ザ・クランズマン》。黒人が奴隷として売られるところから始まり,白人の男(主人)が黒人の女(奴隷)に産ませた混血黒人の誕生,その反乱,黒人圧迫集団KKK(クー・クラックス・クラン)の暴虐(と活躍)が,黒人奴隷を使用する南部の綿花農園経営主一家と黒人解放論者である北部の上院議員一家の交流と対立を中心に,南北戦争,リンカンの暗殺といった歴史的事件をまじえながら,壮大な叙事詩のように描かれる。公開当時,1500万ドルの興行収入を上げ,貨幣価値の変動を考慮に入れれば,史上最大のヒット作といえる。この映画でグリフィスはありとあらゆる映画技法を駆使してみせた(クローズアップカット・バック,フラッシュバック,パン,移動,俯瞰(ふかん)などのほかに,双眼鏡ショットを〈マスキング〉によってフレームをつくる等々)。5人の助監督のうち,エーリッヒ・フォンシュトロハイム,W.S.バンダイク,ラオール・ウォルシュ,ジャック・コンウェイの4人がその後映画監督となり,また若き日のジョン・フォードもエキストラとして出演している。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「国民の創生」の意味・わかりやすい解説

国民の創生
こくみんのそうせい
The Birth of a Nation

アメリカ映画。エポックプロ 1915年作品。監督デビッド・ウォーク・グリフィス。主演ヘンリー・ウォルソール,リリアン・ギッシュ。原作 T.ディクソン。内容的には人種偏見に満ち,南部の復権を目指していたが興行的には大成功を収め,また映画技術上も編集その他に画期的な工夫がみられた。

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世界大百科事典(旧版)内の国民の創生の言及

【イントレランス】より

…しかし,四つの異なる時代を組み合わせた壮大な構成と,〈狂乱のカットバックからクライマックスに至る〉(L.ハリウェル)前代未聞の話法は大衆に受け入れられず,興行的にも批評的にも惨敗。アメリカでは22週興行が続いたものの,それはグリフィスの前作《国民の創生》(1915)の44週の半分で,《国民の創生》の大ヒットによる収益をすべて注ぎこんだグリフィスは破産,19年に撮り足し分を加えて再編集した現代アメリカ編および古代バビロニア編の2編を独立作品として配給し,借金の返済に当てようとしたといわれるが,結局,その後ずっと膨大な負債をかかえこんだまま一生を終えた。なお,この映画の副題は〈いろいろな時代の愛の闘争〉で,バスター・キートンの《滑稽恋愛三代記》(1923。…

【映画音楽】より

…(3)あらかじめ映画監督が指揮者と打ち合わせて伴奏音楽のための選曲をし,その楽譜をフィルムにつけて映画館に送る。D.W.グリフィス監督は《国民の創生》(1915)のために,指揮者のJ.ブリエルとともに,グリーク,ワーグナー,チャイコフスキー,ロッシーニ,ベートーベン,リスト,ベルディ,それにさまざまなアメリカ民謡から選曲を行い,どうしても選曲ではそぐわないクー・クラックス・クランの登場シーンの音楽だけは2人で作曲したという。(4)名のある音楽家に映画のための作曲を依頼する。…

【ギッシュ】より

…5歳のときから舞台に立ち,メリー・ピックフォードの紹介で妹のドロシーとともに1912年,グリフィスのバイオグラフ社に入り,《見えざる敵》でデビュー。15年,危地におちる南部の名家の令嬢を演じた《国民の創生》の大ヒットで彼女の名も世界的に有名になり,《イントレランス》(1916)では四つのエピソードをつなぐかなめとなる揺籃をゆする象徴的な母のイメージを演じた。《散り行く花》(1919)では〈白いつぼみ〉と呼ばれるかれんな貧しい少女を,《東への道》(1920)では心ない中傷に悩まされる薄幸な娘を演じた。…

【グリフィス】より

…ケンタッキー州の貧しい旧家に生まれ,どさ回りの劇団の俳優を経て,1907年に映画界に入り,俳優と脚本家を兼ねたのち《ドリーの冒険》(1908)で監督となる。400本余りの短編をつくったのち,《カビリア》(1913)など,イタリアの長編史劇の影響を受けてアメリカ最初の4巻もの《ベッスリアの女王》(1914)などに続いて,12巻3時間の大作《国民の創生》(1915)を完成。〈映画の文法〉はグリフィスによって創造されたといわれるとおり,グリフィスは,カメラマンのビリー・ビッツアー(1872‐1944)の協力を得て,クローズアップ,ロングショット,フェイド,アイリス,ソフトフォーカス,移動,その他カメラによる表現技法によって,〈動く画面〉を通じて物語る真に〈映画的〉な技術を発見した。…

【サイレント映画】より

…それは,奇想天外なアイデアをもとにした,論理の継続がなくその場かぎりのアクションで終わる〈アクション・コミック〉で,映画だけができる超現実的なファンタジーを具現して見せた。 第1次大戦を契機にアメリカ映画が世界の映画をリードしたが,D.W.グリフィスの《国民の創生》(1915)と《イントレランス》(1916)およびトーマス・H.インス(1882‐1924)の《シビリゼーション》(1916)は,〈クローズアップ〉〈カット・バック〉などの映画的技巧を完成して〈サイレント映画〉の表現技術を集大成した。それは,写真的な〈模写〉から芸術的な〈創造〉への第一歩であった。…

【トーキー映画】より

…音や声の出る〈発声映画〉の試みは,〈カラー映画〉と同じように映画の初期からなされていた。もっとも原始的なシステムは,劇場のスクリーンの背後に俳優や音響係りを配置して,せりふや音をスクリーンにシンクロナイズ(同調)させるもので,1895年に行われたリュミエールの映画会にも,D.W.グリフィス監督の《国民の創生》(1915)の特別公開にもこのシステムが使われたことがあるという。その後,エジソンの〈キネトフォン〉,あるいは〈キネトフォノグラフ〉をはじめ,いろいろなシステムが発明,改良されて,音響と音楽だけのサウンド版《ドン・フアン》(1926),歌唱場面だけを同時録音した〈パート(部分)トーキー〉の《ジャズ・シンガー》(1927)がつくられ,次いで全編に音声が伴う《紐育の灯》(1928)が最初の〈100%オール・トーキー〉として登場する。…

【ブラック・シネマ】より

…W.R.ダリー監督)で初めて黒人の舞台俳優サム・ルーカスがトムを演じたが,一般には白人の俳優が顔を黒く塗って黒人を演ずることはその後もつづいた。映画史を飾るD.W.グリフィス監督の《国民の創生》(1915)でも黒塗りの白人が黒人を演じているが,この作品は映画の芸術的手法を確立すると同時に人種差別を最初に主張・宣伝した作品として批判されることになった。とくに黒人の反発は根強く,黒人教育家ブッカー・T.ワシントンの秘書であったエメット・J.スコットが1916年に設立した〈リンカン・モーション・ピクチャー・カンパニー〉は,シカゴで12巻,3時間の大作《リンカンの夢》を製作し,18年に《人種の創生》と改題して公開した。…

※「国民の創生」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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