日本大百科全書(ニッポニカ) 「地蔵浄土」の意味・わかりやすい解説
地蔵浄土
じぞうじょうど
昔話。異郷を訪れて財宝を得ることを主題にした致富譚(たん)の一つ。爺(じじ)が山で昼食のとき、握り飯を転がす。転がり込んだ穴の中に入って行くと、地蔵があって、握り飯を食べている。地蔵は爺に謝り、やがてここに鬼どもがくるから、合図をしたら鶏の鳴きまねをしろという。そのとおりにすると、鬼は朝になったと思いあわてて宝物を置いたまま逃げ去る。爺はその鬼の宝物を持って帰る。それを知った隣の爺がまねをして、鬼にひどい目にあわされる。
話の外枠は善悪2人の爺の対比を主題とする「隣の爺」型になっている。浄土とは異郷の仏教的な表現で、地下の異郷への訪問譚であるところに特色がある。構想のほとんど同じ昔話に「鼠(ねずみ)の浄土」がある。「継子(ままこ)話」の「椎(しい)の実拾い」には、後半部分がこの昔話の後段と一致している例も少なくない。朝鮮に多く分布している「金の砧(きぬた)・銀の砧」の昔話は、「地蔵浄土」と「椎の実拾い」の中間の型をとっている。「兄弟話」の一例で、どんぐり拾いに行った弟が、トケビ(雑鬼)の家で、なんでも欲しい物の出せる金の砧と銀の砧を得てくるが、それをまねた兄はトケビにたたかれ、ばかになったという。地蔵の浄土という観念は、日本の地蔵信仰を背景に成立したものである。「金の砧・銀の砧」に地蔵信仰が結び付いた型が、「地蔵浄土」と「椎の実拾い」との共通の原型であろう。
[小島瓔]