坊ヶ池
ぼうがいけ
[現在地名]清里村青柳
青柳集落の北西、京ヶ岳の西側にある。水面標高約四六八メートル。周囲には青柳社・弁才天社・青海社などが点在、山岳信仰の聖地といわれる。池畔の御祓石場では雨乞の祭が行われたという。近世には重要な用水源であった。宝永七年(一七一〇)池の圦樋水門の普請を請負っていた今曾根村など一六ヵ村は、無断で円福寺の除地内に入り山中を伐荒したことの詫状(円福寺蔵)を同寺に差出した。享保一四年(一七二九)岡嶺御林の開発が計画され、その用水源に坊ヶ池があてられたが、青柳村と円福寺はこれを拒否した(「水門増につき申上書」同寺蔵)。寛政二年(一七九〇)青柳村が水門関枠の錠前をこわし水を盗んでいたとして水下の稲谷村(現上越市)など一三ヵ村が奉行所へ訴状(坊ヶ池土地改良区有文書)を提出したが、堤を増築することで内済。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
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