垣ノ島遺跡(読み)カキノシマイセキ

デジタル大辞泉 「垣ノ島遺跡」の意味・読み・例文・類語

かきのしま‐いせき〔‐ヰセキ〕【垣ノ島遺跡】

北海道函館市にある縄文時代早期の遺跡。長さ190メートルに及ぶ大規模な盛り土遺構のほか、漁網用の石錘せきすい石製のおもり)が多く出土している。令和3年(2021)「北海道・北東北の縄文遺跡群」の一つとして世界遺産文化遺産)に登録された。

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国指定史跡ガイド 「垣ノ島遺跡」の解説

かきのしまいせき【垣ノ島遺跡】


北海道函館市臼尻町にある縄文時代の集落跡。南部太平洋に面する海岸段丘上、東向き斜面の標高32~50mに立地し、南北500m、東西200mに延びる舌状の海岸段丘のほぼ全体に広がる。この段丘は、約10kmにわたって海岸線から山裾までの500m程度の間に標高30mから50mの緩斜面を形成する独特な地形で、駒ヶ岳噴火した縄文時代の前期前半を除いて、早期前半から後期後半までの各期の遺跡が高密度で分布する。垣ノ島遺跡は、海岸段丘上の多くの遺跡の中でも長期にわたる集落変遷を唯一追うことができ、また他のどの遺跡よりも規模が大きく拠点的な集落である。とくに、早期後半の墓制や、前期前半に駒ヶ岳の噴火により生活痕跡が一時的に途絶えること、中期における東北地方北部との交流、後期初頭に大規模な盛り土遺構が造成されること、さらには、後期後半を最後に遺跡がまったくなくなる事実などは、北海道はもとより、東北地方北部を含めた北日本における縄文時代遺跡のあり方を考えるうえできわめて重要である。2000年(平成12)からの国道建設にともなう発掘調査において、早期後半の足形付き土版を副葬した土坑墓群と、後期後半の竪穴(たてあな)建物群が確認され、2003年(平成15)~2010年(平成22)にも発掘調査が実施され、2011年(平成23)に国の史跡に指定された。同年、遺跡隣接地に函館市縄文文化交流センターが開館した。JR函館本線ほか函館駅から函館バス「産業会館前」下車、徒歩約15分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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