日本歴史地名大系 「城内村」の解説
城内村
じようないむら
- 大分県:日田市
- 城内村
慶長六年(一六〇一)の森藩領知目録(佐伯藩政史料)に城内村のうち八二石余とあり、同年の予州替地御知行所目録(同史料)には城内村内二〇三石余とみえる。
城内村
じようないむら
慶長一七年(一六一二)の由利郡中慶長年中比見出検地帳(由利郡中世史考)に村名がある。正保三年(一六四六)には三六五石五斗四升六合(「出羽国油利郡之内知行高帳」秋田県庁蔵)、同四年の出羽一国絵図では城内屋敷とある。宝暦六年(一七五六)の御領分中覚書(矢島町史)によれば本田五五四石三斗七升六合、新田五六石二斗一升三合、家数六七軒、人数二七三人とある。寛政一二年(一八〇〇)の出羽国由理郡仙北郡之内郷村高帳(矢島町役場蔵)では本田五二八石余、新田五二石余とある。明治五年(一八七二)の旧高旧領取調帳では六四六石とある。
城内村
じようないむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報