日本歴史地名大系 「城原」の解説 城原ぐすくばる 沖縄県:沖縄島北部宜野座村漢那村城原[現在地名]宜野座村漢那字漢那(かんな)の本集落の西に位置する集落。一九四六年(昭和二一年)四月に行政区となり、行政区としては「しろはら」とよぶ。嘉陽層(古第三紀始新世)を母岩とする国頭マージ層が堆積する丘陵台地に立地する。廃藩置県後、漢那(かんな)村のアダニ又(また)原(ばる)・グスク原(ばる)の山間地に寄留士族が移住、開拓して散村集落を形成し、グスク原の名を採用して城原と命名した。太平洋戦争の開戦前の一九三九年、長期戦に備えて沖縄県は国策に基づき、食料増産を目的とした自作農創設未開地開発事業を金武(きん)村のうちの中川(なかがわ)(現金武町)、福山(ふくやま)・高松(たかまつ)・城原で開始した。 城原きばる 大分県:直入郡城原「日本書紀」にみえる直入郡の地名。現在の竹田市城原付近のことか。同書景行天皇一二年条によれば、景行天皇軍が土蜘蛛の一人打を討とうと禰疑(ねぎ)山を越えようとした際、土蜘蛛軍の猛攻にあったため「城原」に帰って軍を整え、その後八田さらに打を滅ぼしたという。この土蜘蛛を滅ぼしたのは「稲葉の川上」とされ、また退却した城原の地は卜して定めた「川上」とあるので、城原は稲葉(いなば)川のほとりとも考えられている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by