能の曲目。五番目物。五流現行曲。金春(こんぱる)・宝生(ほうしょう)流は「土蜘」と表記。出典は『平家物語』の「剣の巻」。源頼光(らいこう)(ツレ)は不思議な病に悩んでいる。朝廷の医療所から薬を届けに胡蝶(こちょう)という女(トモ)がやってくるが、それと入れ替わるように怪しい僧(前シテ)が現れ、蜘蛛の巣を投げて襲いかかるが、頼光の刀に切られて消える。異変に駆けつけた独武者(ひとりむしゃ)(ワキ)に、頼光は剣の威徳を語り、剣は蜘蛛切りと名づけられる。血の跡を追って独武者とその軍勢(ワキツレ)が葛城(かつらぎ)山に至ると、土蜘蛛の妖怪(ようかい)(後(のち)シテ)が現れ、巣を繰り出して防戦するが、ついに首を落とされる。蜘蛛の糸は、鉛を芯(しん)に雁皮紙(がんぴし)を堅く巻いて細かく刻んでつくられるが、舞台に白い虹(にじ)が走るような美観が好まれ、人気のある作品である。黒川能では前シテに奇怪な面を用いるが、五流の能では素顔のままで演ずる。浄瑠璃(じょうるり)や歌舞伎(かぶき)にも多くのバリエーションを生んだ。
[増田正造]
能『土蜘蛛』によった歌舞伎舞踊劇に『土蜘(つちぐも)』がある。長唄(ながうた)。河竹黙阿弥(もくあみ)作。1881年(明治14)6月、東京・新富(しんとみ)座で5世尾上(おのえ)菊五郎が初演。作曲3世杵屋正次郎(きねやしょうじろう)、振付け初世花柳寿輔(はなやぎじゅすけ)。歌舞伎舞踊の一系統であり、尾上家の家の芸でもあった「土蜘」を原典の能仕立ての松羽目物(まつばめもの)につくったもので、菊五郎が制定した「新古演劇十種」の第一作。能の筋(すじ)をそっくり移し、蜘蛛の精の化身である僧智籌(ちちゅう)が修行の厳しさを物語るところ、頼光(よりみつ)に斬(き)りつけられてからの立回りなどが見せ場。大正以降、6世尾上梅幸(ばいこう)、6世尾上菊五郎を経て、2世尾上松緑(しょうろく)が得意としていた。
[松井俊諭]
古代、大和(やまと)朝廷側から異族視されていた集団。『日本書紀』では「神武(じんむ)紀」に土蜘蛛を、「身短くして手足長し、侏儒(ひきひと)と相にたり」と形容しているが、「景行(けいこう)紀」では朝命に従わず、石窟(いわむろ)に住む人物を土蜘蛛と表現している。『常陸国風土記(ひたちのくにふどき)』では、国樔(くず)を土俗のことばで、土蜘蛛とか八握脛(やつかはぎ)とよんでいたと記している。八握脛は脚の長い者の意味であるから「神武紀」の「手足長し」に類するものといえよう。また『常陸国風土記』には、国樔、つまり土蜘蛛は「山の佐伯(さへき)」「野の佐伯」であり、「普(あまね)く土窟(つちむろ)を掘り置きて、常に穴に住み、人来たれば窟に入りてかくる」とされ、狼(おおかみ)の性、梟(ふくろう)の情をもつもので、いよいよ風俗を阻(へだ)てる種族であるといっている。王化に浴せぬいわゆる化外(けがい)の民で、水田耕作より狩猟を主としていたため、その生活様式を一般農民と異にしていた人たちを蔑称(べっしょう)したものであろう。
おそらく容易に大和朝廷の支配下に入らなかった人たちは、平地の農耕民というより、むしろ山地の民が多かったようである。その代表例が蝦夷(えみし)(佐伯)であった。「景行紀」に「蝦夷は是(これ)、はなはだ強し。男女交わり居りて、父子別無し。冬は穴に宿(ね)、夏は樔(す)に住む」として穴居をその特徴としてあげている。また越(こし)の蝦夷と想像される人物も、八握脛と名づけられ、その脛の長さは「八掬(やつか)、力多くはなはだ強し。是れ土雲(つちぐも)の後なり」とされている(『越後(えちご)国風土記』逸文)。このように神話や説話のなかにみられる土蜘蛛は、朝廷に討伐さるべき対象として描かれるが、荒ぶる土神や、凶賊とされるのは、やはり平定に困難を極めた記憶によるものであろう。
[井上辰雄]
古代,ヤマト王権の勢力に従わない在地土着の首長ないし集団を呼んだ名称。土雲とも書く。その内容については土窟に住む農民説,蝦夷説,国津神説,などの諸説がある。土蜘蛛の所伝は大和をはじめ,東は陸奥から西は日向におよぶ広範囲にみられ,ヤマト王権の征討伝承の中に抵抗する凶賊として登場し,土窟に穴居して未開の生活を営み,凶暴であるとして異民族視されている。征討伝承は《古事記》《日本書紀》にあり,常陸,豊後,肥前の各風土記や摂津,越後,肥後,日向諸国の同逸文にも各地土着の土蜘蛛の記事がみえる。《日本書紀》神武即位前紀は土蜘蛛の身が短く手足が長いとしており,同景行紀では石窟に住み皇命に従わなかったとある。また《常陸国風土記》は土窟に穴居したとし,《摂津国風土記逸文》にもつねに穴居することから土蜘蛛と賤称したとする。しかし,これらの習俗はむしろ土蜘蛛の名から作られたものか。
執筆者:佐藤 信
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