日本歴史地名大系 「城所村」の解説 城所村きどころむら 神奈川県:平塚市城所村[現在地名]平塚市城所東は小鍋島(こなべしま)村、西は馬渡(まわたり)村・大句(おおく)村(現伊勢原市)、北は下平間(しもひらま)村(現伊勢原市)、南は豊田本郷(とよだほんごう)村に接する。東西に十日市場(とおかいちば)道、東南を北に平塚道が通る。村内を五ヵ村(ごヵそん)堀が東流する。「吾妻鏡」建久三年(一一九二)八月九日条によれば北条政子の実朝出産の際、安産祈願の誦経を行った寺のなかに「常蘇寺城所」とある。近世ははじめ青山領。寛永一〇年(一六三三)幕府直轄領と旗本長田・服部領の三給。宝永六年(一七〇九)旗本長田・服部・加藤・高麗・勝田領の五給。天保六年(一八三五)九月の村明細帳(平塚市史二)によれば田四一町三反余、畑屋敷三〇町四反余。 城所村じようしよむら 新潟県:中蒲原郡亀田町城所村[現在地名]亀田町城所甲・城所乙・城山(じようやま)一―四丁目・城所一―二丁目・元町(もとまち)一―二丁目・所島(ところじま)一―二丁目亀田町新田の南東に接し、城山・所島と称して横越(よこごし)村(現横越村)の高内であったが、明治一六年(一八八三)横越村から分離する際、二集落が合併して城所村と称した。所島の開発年代は不明であるが、同地にもと金宝(こんぽう)寺があり、その先祖は越前朝倉氏の流れをくみ、天正元年(一五七三)落延びて当地に至り、のち上所島新田(現新潟市)に移住したという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報