20世紀日本人名事典 「城泉太郎」の解説 城 泉太郎ジョウ センタロウ 明治期の社会思想家 生年安政3年(1856年) 没年昭和11(1936)年 出生地越後国(新潟県) 学歴〔年〕慶応義塾卒 経歴越後長岡藩士の子。慶応義塾の教師となる。ルソー、ロック、コントなどを読み、共和主義を唱える。明治11年土佐の立志社に招聘され、自由民権論者のために西洋政治思想を講義。20年「支那の大統領」を著わすが刊行されず、未刊の稿本として伝わる。ヘンリー・ジョージの思想に共鳴し、その著書を訳し、24年「済世危言」と題して刊行した。晩年は弾圧を避けるため隠者の生活を送った。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「城泉太郎」の解説 城泉太郎 じょう-せんたろう 1856-1936 明治時代の社会思想家。安政3年7月17日生まれ。越後(えちご)(新潟県)長岡藩士の子。母校の慶応義塾,高知の立志学舎などで英語や西洋政治思想をおしえ,高知の自由民権運動にもかかわる。明治24年ヘンリー=ジョージの著作を「済世危言」と題して翻訳,刊行した。昭和11年1月8日死去。81歳。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by