デジタル大辞泉 「コント」の意味・読み・例文・類語
コント(〈フランス〉conte)
2 笑いを誘う寸劇。
[類語](1)短編小説・サーガ・ショートショート・ストーリー・テール・ナラティブ・ヌーベル・ノベル・ノベレット・フィクション・ロマン・ロマンス/(2)寸劇・茶番
フランスの哲学者。社会学の創始者。
南仏モンペリエのカトリック教徒で王党派の家に生まれる。パリのエコール・ポリテクニク(理工科大学校)に入学したが、教授排斥運動の首謀者として放校される。その後、社会主義者サン・シモンを知って、その雑誌編集を手伝い、思想的に影響を受けた。だが、社会変革の理念においては共鳴しながらも、サン・シモンが社会の再組織化の原理を新キリスト教に置くことには反対し、彼とたもとを分かつことになった。
フランス大革命と近代の産業革命に伴うフランス社会の混乱状態を克服することを自己の課題とし、その再編成の理論の確立に専心した。彼によれば、社会の無政府状態は人間の知的危機状態の反映である。この状態を克服して、無政府的混乱を政治的統一にまでもたらすには、あらゆる社会活動を支配している普遍的原理ないしは歴史的発展の法則が客観的、科学的に把握されねばならない。社会的、歴史的な諸問題は、抽象的思弁によってではなく、科学的、実証的な方法によって説明されねばならない。「絶対的な格率はただ一つしかない。それは、絶対的なものは何一つないということだ」という彼のことばは、形而上(けいじじょう)学的諸学説の擬似絶対性を排し、感覚的経験によって確証することのできる諸事実と、それらの関係だけに専念する、という科学的かつ実証的な立場を表明している。そして人間の知識、知性を動的な発展過程の相の下にとらえ、その結果、有名な三段階発展説を提唱し、実証主義精神の確立を目ざした。
[足立和浩]
それによると、人類の知的発展は三つの段階を経て完成される。まず、第一の「神学的段階」では、想像力によって占星術、錬金術などが生まれ、ついで、第二の「形而上学的段階」では、事物の内在的本質としての力というものが想定される。最後に、第三の「実証的段階」において、事物や事柄の観察/仮説/実験/推理/検証という近代科学的な方法によって、真の科学的、実証的な知識が獲得される。この三段階発展説は、前期コントの科学主義的実証主義の立場を代表している。
[足立和浩]
晩年、十数年に及ぶ結婚生活の解消後、クロチルド・ド・ボーClotilde de Vaux(1815―1846)夫人と出会い、彼女を幻想的な愛情によって溺愛(できあい)したが、2年後その死にあうと、自身の失職、友人たちの援助に頼る生活、しかも彼の気むずかしさによる友人たちの離反、などという当時の生活状況とも相まって、しだいに神秘主義的な方向に傾斜してゆき、ついには人間性を崇拝する人類教(コント自身がその大司教、ボー夫人は聖女)を唱えるに至った。すなわち、前期の客観主義的科学主義は主観的宗教的象徴主義に席を譲ったのであるが、この矛盾的変貌(へんぼう)のなかには、人間コントの実存的な姿が浮き彫りにされているといえよう。主著に『実証哲学講義』6巻(1830~1842)のほか『実証政治体系』4巻(1851~1854)や『実証主義問答』(1852)などがある。
[足立和浩]
『霧生和夫他訳『世界の名著46 コント スペンサー』(1980・中央公論社)』
短編小説。短くおもしろい話のこと。本来はモーパッサン、ツルゲーネフ、芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)、アナトール・フランスらの小品をさすが、日本では川端康成(かわばたやすなり)の「掌(てのひら)の小説」のようにごく短い作品をよぶことが多い。一般にはバルザックの『風流滑稽譚(コント・ドロラティク)』Contes drolatiquesに代表される、軽妙なユーモアに満ちた小話、艶笑(えんしょう)ばなしなどをさす場合が多く、フランスでは妖精物語(コント・ド・フェ)conte de féeのおとぎ話までも含める。日本では寸劇をコントとよぶこともある。
[船戸英夫]
フランスの哲学者,社会学者であり,教育家,宗教家でもあった。南フランスのモンペリエの小官吏の家に生まれ,1814年パリの高等理工科学校に入学,しかし同校がその後閉鎖されたため退学を余儀なくされた。17年サン・シモンと出会い,青年時代を彼の秘書として過ごす。サン・シモンから大きな感化をうける。22年論文《社会再組織に必要な科学的作業のプラン》を発表し,その後サン・シモンから離れ,独立した歩みを始める。26年少数の聴講者を相手に自宅で哲学の講義を始め,これがのちに全6巻から成る《実証哲学講義》(1830-42)として刊行され,主著となる。44年クロティルド・ド・ボーClotilde de Vauxと出会い,彼女に恋をし,その死に遭遇する。コントはこの体験を通じて〈主観的統一〉の結論に到達し,晩年の大著《実証政治体系--人類教を創設するための社会学概論》全4巻(1851-54)を著す。57年9月,〈人類教religion de l'humanité〉の大司教として弟子たちに見守られながら,パリで死去。
コントの終生変わらぬ根本的な問題意識は,当時のフランスさらにはヨーロッパの全体にひろがっていた無政府状態anarchieに終止符を打ち,統一unitéを再建することにあった。彼は当時の世俗的無政府状態が根源的には知的・精神的な無政府状態に由来しているとみ,知的・精神的な統一を樹立することこそが,時代の最も重要な課題であると考えた。しかし他面では,その人類の精神的発展に関する〈三段階の法則loi des trois états〉にもとづいて,人類精神の改革を主張した。すなわち,彼は神学的精神による統一の再建は不可能であり,形而上学的精神を経て,究極的にはただ実証的精神にもとづいてのみ可能であると考えていた。〈諸科学の序列〉の原理にもとづいて,数学から社会学にいたる一つの実証知の体系をつくりあげ,さらにこれを普及させることによって,知的そしてさらには世俗的な無政府状態に終止符を打つことに向けられたのである。しかし晩年において,たんなる知的統一だけでは決定的に不十分であることを悟ったコントは,それを含みつつも,より広い心情の統一としての実証宗教,神への礼拝ではなく,人間という偉大な存在を礼拝する〈人類教〉を創始し,これを普及させることによって,無政府状態の危機から救い出さねばならぬ,と考えるにいたった。
コントの死後,〈人類教〉はほどなく勢いを失ったが,その実証主義は哲学のみならず歴史や文芸にも甚大な影響を与え,さらにその社会学は海をこえてJ.S.ミルやスペンサーに影響を与えるとともに,大陸それ自身においてもデュルケーム学派の社会学等を生み出す原動力となった。
執筆者:村井 久二
軽妙な内容の短い物語のこと。フランスでは元来,内容・長短にかかわりなく韻文による物語を指していたが,中世末期から近世にかけて《サン・ヌーベル・ヌーベル》や《エプタメロン》といった風流小咄(こばなし)が出るにおよんでおおよその形式が定まった。長短の区別よりも,きわどい内容を盛りこんだり,辛味をきかせたり,童話風の幻想性をもった作品を称していわれ,ペローの皮肉っぽい教訓をもった童話風の物語が代表作。19世紀に入ってバルザックの《コント・ドロラティク(風流滑稽譚(こつけいたん))》やフローベールの《トロア・コント(三つの物語)》などが生まれたが,とりわけモーパッサンがこの形式を愛用した。日本では掌編小説,小品とも訳され,風流を取りこんだ日常観察の断片や,気のきいた風刺や諧謔(かいぎやく)味のある短編をさす。江戸小咄などの楽しい語りの伝統を受け継いだ近代的な文学ジャンルといえる。川端康成の《掌の小説集》や太宰治の《新釈諸国噺》などが好例。
執筆者:池内 紀
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1798~1857
フランスの哲学者,実証主義者。社会学の創始者でもある。社会活動を支配する法則も科学的に求められるとする。知識の発展段階を神学的,形而上学的,実証的に分けたのは有名。主著『実証哲学講義』。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…国と時代により差異はあるが,一般に知られている爵位は,公(デュークduke),侯(マーキスmarquis),伯(アールearl),子(バイカウントviscount),男(バロンbaron)の5位階である(かっこ内は英語)。これらのうち,公と伯の呼称が歴史的に見て最も古く,それぞれ古ゲルマンの軍事統率者であるドゥクスdux(ドイツ語はヘルツォーク,フランス語はデュクduc),フランク国王の統治権とりわけ裁判権を地方管区ごとに執行する役人としてのコメスcomes(ドイツ語はグラーフ,フランス語はコントcomte)とにさかのぼる。封建制度の発達にともなって,両者はいずれも官職的性格を失って,封建諸侯の称号となり,公は国王の直属封臣のうち最高の位を占めた。…
…知人を介して当時最大の文芸庇護者,財務総監フーケのお抱え詩人となる。61年フーケが失脚投獄された後はオルレアン公未亡人の侍従をしながらヌベール,ブイヨンらのサロンに出入りし,コントや寓話を発表し始める。この二つのジャンルは晩年まで続けて手がけた。…
…それゆえ,〈科学の歴史〉をたどろうとする試みも,19世紀西欧に始まったといってよい。たとえば,イギリスのJ.プリーストリーの一連の先駆的な仕事,そしてフランスのA.コントが提案した〈科学の歴史histoire de la science〉や,イギリスのW.ヒューエルの著した《帰納科学の歴史》(1837)などが,そうした試みを代表する。もとよりそれ以前にも,すでに個別の学問として成立していた数学や,天文学,医学などに関しては,それぞれに,個別的な学問史が書かれたことがあった(たとえばルクレールD.Leclerc(1652‐1728)の《医学史》(1696,1723)やドランブルJ.Delambre(1749‐1822)の《古代天文学史》(1817)など)が,科学が一つの理念として成立しはじめる19世紀半ば近くになって,ようやく科学史という学問もその理念を体して誕生したといえよう。…
… 〈実証主義〉は積極的主張としても軽蔑的な意味合いでも使われる。19世紀初頭にC.deサン・シモンやコントによってこれがはじめて提唱されたときは,むろん積極的主張であったが,19世紀末に〈実証主義への反逆〉がはじまると,それは〈唯物論〉〈機械論〉〈自然主義〉などと等価な蔑称として使われた。自然科学的認識方法を無批判に人間的事象に適用する当時の支配的な思想傾向が漠然とこの名で呼ばれ,批判されたのである。…
…1830年から42年にかけて刊行されたA.コントの主著で,原名はCours de philosophie positive。第1巻は序論と数理哲学,第2巻は天文哲学と物理哲学,第3巻は化学哲学と生物哲学,第4巻は社会哲学の理論的部分,第5巻はその歴史的部分,そして最後の第6巻はそのつづきと結論から成っている。…
…この〈進歩の観念〉は啓蒙主義に由来しており,社会の無限の進歩と人間の完成可能性という,当時勃興しつつあった市民階級の楽観主義的な歴史意識と理性への信頼を基礎にしている。こうした伝統に立って,たとえばコントは社会の進歩は知識の進歩によって決定されるとし,サン・シモンにならって人間の知識の発展を神学的→形而上学的→実証的の3段階に分け,社会構造も知識の発展に応じて憶測的知識の支配する軍事的時期から抽象的知識が支配する法律的時期を経て,科学的知識が支配する産業的時期へ進歩するとした。 社会進化=社会進歩とする考えは,その後階級社会の矛盾や未曾有の世界大戦の経験などを経て支持者を失うことになった。…
…
[学説]
社会変動に関する諸学説は,それぞれが提唱された時代と社会の状態をよく反映している。19世紀初頭には,産業革命による産業社会の実現をめざして,サン・シモンとオーギュスト・コントは観念の段階論を唱えた。すなわち,神学―形而上学―実証主義という三段階論がそれである。…
…サン・シモンは社会を諸個人の単なる集合でなく一つの統合された生きた全体とみ,これを実証的に研究する社会生理学を提唱。その弟子コントは社会有機体l’organisme socialの語を創始し,生物と構成要素の細胞との類比によって社会を超個人的実在であると説き,社会の解剖学的・生理学的研究として社会静学,社会の成長の研究として社会動学を設けた。社会有機体説を論拠づけ国際的に普及させたのはスペンサーで,彼は生物も社会も無機体と異なり,時の経過につれて量が自然に増し,構造と機能とが分化・異質化しつつ,相互依存を強めて全体の統合が進むという共通点があることから〈社会は有機体であるA society is an organism〉と断定し,ダーウィン的な社会進化論を提起した。…
…このように〈進歩の観念〉は,古代および中世の克服という理念に根ざした近世的な観念だが,翻せば,直線的な時間観,終末論的歴史観が優勢なキリスト教の土壌にこそ生じ得るもので,その意味ではヨーロッパ世界に特殊な思想ということができよう。 フランス革命の彼岸に夢見られたこういう〈進歩の観念〉は,以後コントに見られるように,現実法則として認識され,それに基づいて予見が可能となる実証主義的な楽観主義として定着する。しかし19世紀の中葉以降,進展する産業文明が新しい社会的矛盾を生み出すにつれて,進歩への信仰は揺らぎはじめ,左翼陣営からは市民階級のイデオロギーとみなされるようになる。…
…彼はその中で,〈アフリカ・ニグロにおいて,フェティッシュと呼ばれる地上の物的なある種の事物を崇拝すること,これをフェティシズムと命名する〉と定義している。これがのちのA.コントによる再定義を受け,〈フェティシズムは,世界に対する人間の本源的態度〉であり,人間精神史の最初の段階であるところの〈神学的状態〉における人間の心性であるとみなされたため,19世紀の実証主義時代を風靡した〈原始宗教=フェティシズム〉という定説が生まれたのであった。
[経済学]
K.マルクスは,ド・ブロス,A.スミス,コント,L.A.フォイエルバハに通底する,以上のような人間の自然的感情を前提とした原始宗教論に疑問符を付し,フェティシズムの成立を社会的関係性,歴史性から解明しようとした。…
…5世紀にマルティアヌス・カペラが後の二つを落として自由七科ができた。17世紀初頭に新しい学問や技術の発展をふまえてF.ベーコンが新しい分類(図3)を始め,フランスの《百科全書》(図4)に引きつがれたが,19世紀にA.コントが歴史的,論理的順序による分類(図5)を提唱して,これが現在も大学の教科編成や図書の分類に用いられている。劇を喜劇,悲劇,頌歌に分類したのは前3世紀の詩人カリマコスであるが,彼はアレクサンドリアの図書館司書だったので,図書目録のための分類であった。…
…原語は〈他者〉を意味するラテン語のalterにさかのぼり,コントに由来し,エゴイズムないし利己主義に対して用いられた。訳語は明治10年代以来で〈愛他心〉とも訳されており,40年代以降には〈愛他説〉〈愛他主義〉〈主他主義〉とも訳された。…
※「コント」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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