堀田弥一(読み)ホッタヤイチ

デジタル大辞泉 「堀田弥一」の意味・読み・例文・類語

ほった‐やいち【堀田弥一】

[1909~2011]登山家。富山の生まれ。昭和11年(1936)、立教大登山隊の隊長として北インドの未踏峰ナンダコートに挑み、日本人初のヒマラヤ登頂に成功した。著作に「ヒマラヤ初登頂」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「堀田弥一」の意味・わかりやすい解説

堀田弥一
ほったやいち

[生]1909.1.30. 富山
[没]2011.2.23. 東京
登山家,日本山岳会名誉会員。1936年,インドのナンダコート(6867m)に立教大学隊隊長として遠征,日本人で初めてヒマラヤ(→ヒマラヤ山脈)登頂に成功した。当時日本アルプスでは慶應義塾大学,京都大学,早稲田大学,東京大学などの伝統校がきそって冬季登山に邁進し,立教大学も堀田リーダーのもと,ほかの大学が手をつけない後立山連峰黒部側などに精力的に通った。次の目標はヒマラヤとはだれしも思ったが,国際情勢の悪化や計画の過大さから実施にいたらず,若手 OBを中心に少人数(5人)の隊を編成した立教大学が凱歌を上げた。日本の冬山で鍛えればヒマラヤにも通用するという自信を得たが,日中戦争から第2次世界大戦という時代で活躍の機会はなかった。戦後,日本山岳会マナスル遠征では 1954年の第2次隊隊長を務めたが,現地住民の妨害にあって目標に近づくことができず,涙をのんだ。著書に『ヒマラヤ初登頂』。(→登山

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「堀田弥一」の解説

堀田弥一 ほった-やいち

1909-2011 昭和時代の登山家。
明治42年1月30日生まれ。立大山岳部で立山,黒部などの冬山で活躍。昭和11年立大ナンダ-コート遠征隊隊長として日本最初のヒマラヤ遠征をおこない,全員登頂を成功させる。29年第2次マナスル隊隊長などをつとめた。平成23年2月23日死去。102歳。富山県出身。著作に「ヒマラヤ初登頂」。

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