日本アルプス(読み)にほんあるぷす

日本大百科全書(ニッポニカ) 「日本アルプス」の意味・わかりやすい解説

日本アルプス
にほんあるぷす

本州中部地方にほぼ南北に並走する飛騨山脈(ひださんみゃく)(北アルプス)、木曽山脈(きそさんみゃく)(中央アルプス)、赤石山脈(あかいしさんみゃく)(南アルプス)の総称。3000メートル級の山々が連なるのは日本列島ではこの山域だけであり、日本列島の屋根とよばれ、高峻(こうしゅん)な山岳と深い渓谷が多く、古くから独特の山村文化が発達した地域であり、また本格的な登山やスキーのできる代表的な山域として知られている。

[徳久球雄]

呼称の由来

日本アルプスの呼称は、ヨーロッパ・アルプスに類似した岩峰や雪渓の多い高山的景観からつけられたもので、最初に日本アルプスの呼称を用いたのは、イギリスの冶金(やきん)技術者ガウランドWilliam Gowland(1842―1922)である。彼は立山(たてやま)、槍ヶ岳(やりがたけ)(3180メートル)など飛騨山脈の山々に登り、アーネスト・サトー編の『中部および北方日本旅行者案内』(1881)に、飛騨山脈の山々をたたえ「日本アルプスと称してしかるべきところであろう」と記している。日本アルプスを飛騨、木曽、赤石の3山脈の総称としたのはイギリスの宣教師で日本近代登山の父といわれたW・ウェストンで、彼は1896年ロンドンで出版した『日本アルプス・登山と探検』に日本アルプスの山岳美を紹介している。またウェストンの影響を受けた登山家小島烏水(うすい)は著書『日本アルプス』(全4巻)で北アルプス、中央アルプス、南アルプスの呼称を用い、その総称として日本アルプスの名称を使用している。なお、中部山岳地帯以外の峻険な山々が連なる山地にアルプスの名を付することも多い。

[徳久球雄]

北アルプス

北アルプスは長野、富山、岐阜の3県にまたがり、南北約100キロメートル、東西35キロメートルに及ぶ。松本盆地からは2000メートル以上の高度差があり、高瀬(たかせ)川、梓(あずさ)川、黒部(くろべ)川、常願寺(じょうがんじ)川、神通(じんづう)川上流の蒲田(がまだ)川によって、いくつかの山稜(さんりょう)を構成している。最高の主稜は梓川と蒲田川に挟まれた槍・穂高連峰(やりほたかれんぽう)で、槍ヶ岳から奥穂高岳(3190メートル)を中心とする鋭い岩稜で、上高地(かみこうち)を含め日本アルプスの象徴ともいえる地域となっている。槍・穂高連峰の北方には立山(たてやま)本峰(大汝(おおなんじ)山、3015メートル)、剱岳(つるぎだけ)(2999メートル)、薬師岳(2926メートル)などを中心とする立山連峰と、白馬岳(しろうまだけ)(2932メートル)、鹿島槍ヶ岳(かしまやりがたけ)(2889メートル)を中心とする後立山連峰(うしろたてやまれんぽう)がある。飛騨山脈上に併走する乗鞍火山帯(のりくらかざんたい)には、焼岳(やけだけ)(2455メートル)や、乗鞍岳(3026メートル)、御嶽(おんたけ)(木曽御嶽、3067メートル)などの火山がある。北アルプスの山頂部には立山の山崎圏谷(カール、国の天然記念物)、薬師岳圏谷群(特別天然記念物)、涸沢(からさわ)岳の日本最大の涸沢圏谷など、圏谷、U字谷、構造土などの氷河地形や周氷河地形がみられ、白馬岳の大雪渓をはじめ万年雪を残す所も多い。また諸連峰を限る河川には、黒部峡谷(特別名勝・天然記念物)に代表されるように深い峡谷がみられ、北アルプスの特徴的な景観の一つとなっている。一方、ハイマツ群落や亜高山性針葉樹林が卓越し、まさにアルプス的な高山景観を呈し、北アルプスの大部分は中部山岳国立公園に指定されている。

[徳久球雄]

中央アルプス

中央アルプスは長野、岐阜両県にまたがり、東を天竜川、西を木曽川に限られた山地で、南北約100キロメートル、東西20キロメートルに及ぶが、2500メートル以上の高山地域に限れば、最高峰の駒ヶ岳(こまがたけ)(2956メートル)を中心に、北は茶臼(ちゃうす)山(2658メートル)、南は越百(こすも)山(2614メートル)の20キロメートル余の地域である。おもな山は駒ヶ岳のほか、空木岳(うつぎだけ)(2864メートル)、南駒ヶ岳(2841メートル)などがあり、駒ヶ岳の千畳敷(せんじょうじき)や濃ヶ池(のうがいけ)のカールは典型的な氷食地形である。木曽山脈は何回かの断続的な隆起により形成され、山腹は急斜面をなしている。なお、主要部は中央アルプス国定公園に指定されている。

[徳久球雄]

南アルプス

南アルプスは山梨、長野、静岡3県にまたがり、富士川と天竜川の間、南北70キロメートル、東西50キロメートルにわたる広大な山地で、山頂部を中心に南アルプス国立公園となっているが、三つのアルプス地域のなかではもっとも開発が遅れ、原生林地域も多く残されている。最高峰は日本第二の高峰の白根(しらね)山の北岳(3193メートル)で、このほか間ノ岳(あいのたけ)(3190メートル)や農鳥岳(のうとりだけ)(3051メートル)、赤石岳(3121メートル)などがあって北アルプス同様3000メートル級の高峰が多い。高山性の岩稜や雪渓は比較的少ないが、仙丈(せんじょう)ヶ岳、赤石岳、荒川岳付近にはカール地形があり、また各地域に二重山稜や非対称山稜が発達している。

[徳久球雄]

植生

海抜1800メートルから2500メートルまでの山腹はシラビソオオシラビソ、トウヒ、コメツガなどの針葉高木林、2500メートル以上はハイマツの低木群落が優占する。針葉高木林帯(シラビソ帯)の植生をみると、本州と四国の山地には共通する植物が多いが、南アルプスの北部を中心とした地域ではチョウセンゴヨウイラモミヒメマツハダ、ミスズラン、セリバシオガマなどの固有の種類がとくに多く、本州の針葉高木林帯の中心的な所となっている。また、北アルプスの日本海に近い所では積雪が多いため、針葉樹林の発達が悪く、フロラも貧弱になっている。針葉高木林帯の雪崩(なだれ)の多い斜面には針葉樹が育たず、ダケカンバミヤマハンノキなどの低木林や、ミヤマキンポウゲハクサンフウロミヤマセンキュウなどの花の多い雪崩草原となっている。

 針葉低木林帯(ハイマツ帯)はヨーロッパ・アルプスなどの亜高山帯に相当するもので、ハイマツ群落が密生する。ハイマツ群落は東シベリア方面と共通のものと考えられる。雪の多く吹きだまる所、風当りのとくに強い尾根筋、砂礫(されき)地などでは矮性(わいせい)低木、丈の低い草本の群落がみられる。海抜3000メートル以上になると、矮性低木やイネ科、カヤツリグサ科の植物を主とした群落が広い面積を占めるようになる。これが狭義の高山帯(ヒゲハリスゲ帯)である。高山帯の植物は北半球の極地と温帯高山に類縁が深いが、雪田(せつでん)の植物は北太平洋沿岸、とくにアラスカの沿岸部と共通するものが多い。

[大場達之]

動物相

日本アルプスは、元来、人間の活動が比較的少ない山地であるため、哺乳(ほにゅう)類30種以上、鳥類200種以上が生息する。近年、開発により大形哺乳類の生息地域が縮小され、個体数も減りつつある。全域を通じて注目される大形哺乳類には、ニホンザル、ニホンカモシカ、ツキノワグマエチゴウサギなどがあり、このうちニホンカモシカは1955年(昭和30)以来、国の特別天然記念物として保護されている。鳥類は、高山帯特有の留鳥であるライチョウがハイマツ帯に、ホシガラスが亜高山帯以上に生息する。渡り鳥として高山帯にみられるものにイワヒバリ、イワツバメ、チョウゲンボウ、ルリビタキなどがある。昆虫類は、高山チョウのクモマツマキチョウ、ミヤマシロチョウ、タカネヒカゲ、クモマベニヒカゲ、ミヤマモンキチョウなどが知られ、北海道やシベリアとの共通種が少なくない。また、水生昆虫として氷河期の遺存種といわれるセッケイカワゲラやトワダカワゲラなどがすむ。

[新妻昭夫]

登山史

日本の代表的な山岳地域であるだけに、日本アルプスの登山の歴史はそのまま日本の登山史ともいえよう。かつては採草や狩猟のための山登りであったが、平安時代の修験道(しゅげんどう)の確立で山は信仰の対象として登拝されるようになった。それ以前、立山は奈良時代に開山したと伝えられ、また剱岳山頂では奈良時代末期から平安時代初期のものと考えられる錫杖(しゃくじょう)の頭部と槍の穂先が発見されている。立山は平安時代には修験道の道場になり、南北朝以降は信仰登山が盛行した。江戸時代、立山や黒部奥山では、加賀藩の奥山回り役による山林巡視と国境防備のための山回りがあった。後立山連峰針ノ木岳(2821メートル)の鞍部(あんぶ)針ノ木峠は、越中(えっちゅう)と信濃(しなの)を結ぶ重要なルートであったという。中央アルプスの木曽駒ヶ岳の信仰のための登頂は戦国時代中ごろからであったと考えられる。17世紀末から18世紀末にかけて白馬岳、有明(ありあけ)山、御嶽など多くの山が登頂された。槍ヶ岳は1828年(文政11)播隆上人(ばんりゅうしょうにん)によって登頂され、1833年(天保4)には頂上に釈迦(しゃか)尊像が置かれた。

 1878年(明治11)ガウランドが槍ヶ岳へ、アーネスト・サトーが針ノ木峠、立山に登った。1888年に来日したウェストンは槍ヶ岳、赤石岳、白馬岳、御嶽などに登頂した。日本の近代的登山の始まりである。小島烏水らはウェストンの勧めで日本最初の山岳会である日本山岳会を設立した。地理学者志賀重昂(しげたか)は『日本山岳志』(1906)に「日本アルプス山に登るべし」と寄稿、さらに「日本のアルプス山は越後(えちご)、越中の境上より飛騨、信濃の間に連なり、日本本島の中央にうずくまる大山塊で、南北三十五里、東西二十里、花崗岩(かこうがん)帯と片麻岩(へんまがん)帯との間にさく入する日本国中の真正な深山幽谷である」と記した。1906年(明治39)発行の日本山岳会の機関誌『山岳』第1年3号は「日本アルプスの巻」とされており、日本アルプス登山を勧めている。このような形で日本の近代登山は日本アルプスを中心に始まり、また植物研究者、氷河遺跡の研究者による登山のほか、参謀本部の陸地測量部の測量や三角点設置のための登山も行われた。スポーツとしての本格的な登山も行われ、明治末期には日本アルプスの主要な山はほぼ踏破され、登山はバリエーションルートよりのものが盛んとなった。1920年代になると大学の山岳部を中心として積雪期登山が行われるようになり、慶応大学山岳部は1922年(大正11)に槍ヶ岳の、1926年に剱岳の積雪期登頂に成功している。また岩壁登攀(とうはん)も盛んに行われ、バリエーションルートからの登攀は第二次世界大戦前まで続いた。しかしこの間、1927年(昭和2)早大隊の針ノ木谷での、1930年東大隊の剱沢での、ともに雪崩(なだれ)による遭難など多くの事故が起きている。山小屋も立山の室堂などに信仰登山の小屋のみがあったものが、登山者の増加で北アルプス各地に建設された。

 第二次世界大戦後は余暇の増大を背景に、日本山岳会のマナスル登頂の成功などに触発されて登山の大衆化が急速に進んだ。観光開発も進み、北アルプスでは立山黒部アルペンルートの開通で2550メートルの室堂まで歩かずに登ることができ、3000メートルの峰頭まで1~2時間で達せられるようになった。乗鞍岳ではコロナ観測のための道路が改修されて2800メートル近くまで自動車道が通じ、西穂高岳には岐阜県の新穂高温泉からロープウェーが稜線直下まで通じた。また白馬岳をはじめ登山者の多い山岳は、バス路線が高所まで延びていった。中央アルプスの駒ヶ岳には駒ヶ根から千畳敷カールまでロープウェーが建設された。南アルプスは北アルプス、中央アルプスのような開発はみられないが、広河原(ひろがわら)まで林道が建設されるなどの開発が行われた。スキー場の開発も進み、登山のメッカであった日本アルプスも観光地へ転換し、多くの観光登山者を迎えるようになった。しかし、自然保護の面から考えると、開発の進展と登山者の増加によって、高層湿原の減少、ライチョウなどの動物や高山性植物の減少、山小屋などから出される汚物による水の汚染やごみ処理などの問題が多く生じている。現在、ヨーロッパ・アルプスに比して遅れていた山小屋の環境対応が急がれており、トイレ、ゴミ処理の新方式転換、電力などのソーラー化、風力化がすすめられている。

[徳久球雄]

『白籏史朗著『名峰日本アルプス』(1982・山と渓谷社)』『山崎安治著『日本登山史 新編』(1986・白水社)』『水越武著『雷鳥 日本アルプスに生きる』(1991・平凡社)』『大場達之・高橋秀男著『日本アルプス植物図鑑』(1999・八坂書房)』『深田久弥著『日本アルプス百名山紀行』(2000・河出書房新社)』『庄田元男著『日本アルプスの発見 西洋文化の交流』(2001・茗渓堂)』『安川茂雄著『われわれはなぜ山が好きか ドキュメント「日本アルプス登山」70年史』(小学館文庫)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「日本アルプス」の意味・わかりやすい解説

日本アルプス
にほんアルプス

本州の中央部,中部山岳地帯の骨格をなす飛騨山脈 (北アルプス) ,木曾山脈 (中央アルプス) ,赤石山脈 (南アルプス) の総称。 1881年イギリス人 W.ガウランドが E.M.サトウ主宰編集の『中部および北方日本旅行案内』A Handbook for Travellers in Central and Northern Japanの「ルート第 30」越中飛騨の部の冒頭で「信州飛騨山岳地方を日本のアルプスと名づけてよかろう」と記した。さらに,96年同じくイギリス人 W.ウェストンが『日本アルプスの登山と探検』を著わしてのち,3山脈の通称となった。山脈の規模が大きく,3000m級の高峻な峰が多いことに加えて,氷河地形など景観が多様で,高山動植物も多い。このため登山者も多く,特に飛騨山脈には槍ヶ岳,穂高岳を中心に「表銀座」「裏銀座」と呼ばれる縦走路がある。道路の発達により立山,駒ヶ岳,乗鞍岳のようにバスやロープウェーで山頂付近まで登ることも可能になった。飛騨山脈は中部山岳国立公園,赤石山脈は南アルプス国立公園に属する。

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