富山県北東部の市。2006年3月旧黒部市と宇奈月(うなづき)町が合体して成立した。人口4万1852(2010)。
黒部市中東部の旧町。旧下新川郡所属。人口6151(2005)。地形的には北流する黒部川の形成した黒部峡谷を中心とする飛驒山脈山岳地帯と下流の黒部扇状地の扇頂部から構成されている。1954年,東山・愛本・内山の3村が合体,町制。扇頂部東岸の明日(あけび)は稚児舞で知られる法福寺の門前町として開け,西岸の浦山は江戸時代に北陸道の宿駅であった。大正末の日本電力の起工以後急激に発展し,愛本より上流の黒部峡谷内に黒部川第4発電所など10発電所(関西電力),下流に6発電所(北陸電力ほか)があり,総出力約90万kW(1997)に達し日本屈指の水力電源の町として知られた。
黒部峡谷の入口,標高200mの段丘上に1923年,上流の黒薙(くろなぎ)温泉(96℃)から約8km引湯して宇奈月温泉として開湯,泉温60℃,単純泉。黒部川の電源開発とともに発展し,現在は黒部峡谷探勝の基地である。富山市から富山地方鉄道黒部線が通じ,黒部峡谷鉄道(宇奈月~欅平(けやきだいら))の始発地となっている。
執筆者:二神 弘
黒部市北西部の旧市。1954年桜井町と生地(いくじ)町が合体して市制,改称。人口3万6543(2005)。黒部川下流西岸にあり,黒部扇状地西側一帯を占める。市域は南東が高くて山地,台地があり,北西に向かって低くなり耕地が展開する。南方高台の福平,朴原(ほおのきばら)には縄文前期遺跡があり,耕地や集落は低湿肥沃な山麓や海岸から始まり,やがて黒部川の乱流による扇央地帯に及んだものとみられる。中心集落の三日市は早くから市場が開かれていたが,のち旧北陸街道の下街道と上街道の接続する宿場町として発達した。近世には加賀藩が十二貫野用水はじめ多くの灌漑用水路を設け扇状地面の開発を進めた。近世中期,農家婦女子の副業として新川木綿が盛行したが,明治中期には衰えた。黒部川河口にある生地は砂丘上に発達した漁村で,海産物が多く時には北前船も出入りした。黒部川の治水を兼ねて昭和初期に七つの用水の合口化と1956年から流水客土事業が行われ,扇状地農業の安定と発展に役立った。またファスナーとアルミ建材のYKK黒部工場などがある。JR北陸本線,富山地方鉄道,北陸自動車道が通じる。
執筆者:藤森 勉
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
富山県北東部にある市。黒部川下流域を占める。1954年(昭和29)桜井、生地(いくじ)の2町が合併して市制施行。2006年(平成18)下新川(しもにいかわ)郡宇奈月町(うなづきまち)を合併。あいの風とやま鉄道(旧、JR北陸本線)、富山地方鉄道本線、黒部峡谷鉄道、国道8号が通じる。2015年には北陸新幹線が開通し、黒部宇奈月駅が新設された。また、北陸自動車道の黒部インターチェンジがある。江戸時代は加賀藩領で、中心地区三日市(みっかいち)は、愛本(あいもと)橋を経て泊(とまり)(朝日町)に至る上街道と、沓掛(くつかけ)から黒部川を渡り入善(にゅうぜん)を経て泊に至る下街道の分岐点の市場町であった。黒部川扇状地の平野部の大布施(おおふせ)を中心に多角的農業経営が行われ、平野部の西側の十二貫野(じゅうにかんの)は、江戸後期に椎名(しいな)道三が黒部峡谷から引水した十二貫野用水を完成したために水田化された。ファスナー生産で世界的シェアを占めるYKKの広大な工場がある。生地は古くからの漁業集落で、漁港があるが、漁業従事者が大幅に減少、またその高齢化が著しい。石田は富山地方鉄道が通じ、富山湾東部の海水浴場である。面積426.31平方キロメートル(一部境界未定)、人口3万9638(2020)。
[深井三郎]
『『黒部市史稿1~4』(1962・黒部市)』▽『『黒部市誌』(1964・黒部市)』▽『『黒部市史』自然編(1988・黒部市)』
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出典 日外アソシエーツ「動植物名よみかた辞典 普及版」動植物名よみかた辞典 普及版について 情報
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