堂町(読み)つじのどうまち

日本歴史地名大系 「堂町」の解説

堂町
つじのどうまち

[現在地名]博多区御供所町ごくしよまち博多駅前はかたえきまえ一―二丁目

馬場ばば新町の東、承天じようてん寺の西方南北に走る通りに沿った両側町。馬場新町の通りを境に北は御供所町に続き、南は辻堂口を境に那珂なか犬飼いぬかい(福岡博多近隣古図など)。辻堂口を出た道は御笠みかさ郡・大宰府方面に通じていた。古くは辻堂町上・辻堂町中・辻堂町下に分けられたが(続風土記)、のち辻堂町上(南側)と辻堂町下(北側)に分けられた(「続風土記附録」など)町名は辻堂口付近に辻堂があったことに由来(続風土記)。文治三年(一一八七)八月の筥崎大宮司分坪付帳(田村文書/筥崎宮史料)では筥崎宮那珂西なかさい郷の内に「辻堂出口 二十余ケ所在之」とみえる。正慶二年(一三三三)三月一三日、鎮西探題討伐のため挙兵した菊池武時らは博多中所々に付火したのち、「松原口辻堂ノ在家」にも付火している(博多日記)。正平一七年(一三六二)八月二五日、筥崎宮大宮司重政は「那珂西郷内辻堂畠地壱所内堀田三段在之、号瓶酒免」を返却された(「惣官沙弥某下知状」田村文書/筥崎宮史料)。天文一五年(一五四六)一二月一三日に書写された筥崎宮領坪付帳写(同上)には「辻堂新開」の三反(うち二反畠地)とみえ、作人は承天寺前の新五郎であった。

堂町
どうまち

[現在地名]松本市北深志きたふかし二丁目・三丁目

松本城外の武家屋敷で、御徒士おかち町の北にあり西にし町と平行する。東は町家敷の安原やすはら町に接する。「信府統記」に「御堂町 南北二百拾八間余、家数西ケ輪二拾八軒、東ケ輪二拾六軒」とある。堂町の名は日蓮宗の法興山妙光寺がこの地にあり、その堂に由来する(松本市史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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