[現在地名]象潟町大塩越・象潟島・中橋町・一―五丁目塩越・浜山・上狐森
象潟海岸にあり、東に東山、西は海に面し、集落は砂丘沿いに発達する。前川村から南流する大川と、字上狐森から北西に流れる新川とが合流して象潟川となり、村の北側で海に注ぐ。北に金浦村・前川村(現金浦町)、東に大竹村(現金浦町)、大飯郷村・長岡村・小滝村、南に関村がある。
慶長一七年(一六一二)の由利郡中慶長年中比見出検地帳(由利郡中世史考)に仁賀保郷の一村として村名がある。近世初期には領主の変遷が激しく、最上氏時代にはその蔵入地であったが(本城豊前知行)、元和八年(一六二二)本多正純領、翌九年仁賀保挙誠領、寛永元年(一六二四)仁賀保家分知に際し長男良俊(七千石家)領、同八年良俊死去により天領となり、庄内(現山形県)酒井氏預領、同一七年生駒高俊領となったが、同年領地交換により六郷氏領となる。
高は元和九年に六三六石一斗五升(「仁賀保総高改」渡辺文書)で、天保五年(一八三四)の出羽国由利郡之内郷村高帳(秋田県庁蔵)に、
<資料は省略されています>
とある。新開は近世後期にも行われ、文化三年(一八〇六)には本荘藩の手で開田が実施された。