増井清(読み)ますいきよし

日本大百科全書(ニッポニカ) 「増井清」の意味・わかりやすい解説

増井清
ますいきよし
(1887―1981)

獣医学者。静岡県に生まれる。1915年(大正4)東京帝国大学農科大学獣医学科を卒業後、ドイツのカイザー・ウィルヘルム研究所(現、マックス・プランク研究所)においてR・B・ゴルトシュミットのもとで「性の決定」に関する研究を行った。帰国後、1935年(昭和10)東京帝国大学教授に任命され家畜解剖学講座を担任、家畜解剖学・発生学・遺伝学講義を受け持った。数多い研究業績のなかでとくに注目すべきものは、1924年に発表された『雄鶏ニ於(お)ケル退化交尾器官並ニ初生雛(びな)ノ雌雄鑑別ニツイテ』(橋本重郎(じゅうろう)・大野勇共著)で、この業績を基礎として開発された初生雛の指頭鑑別法は、日本の養鶏界の発展に大きく寄与するとともに、日本人鑑別師が世界各国で活躍する端緒となった。

[正田陽一]

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20世紀日本人名事典 「増井清」の解説

増井 清
マスイ キヨシ

大正・昭和期の畜産学者 東京大学名誉教授;名古屋大学名誉教授。



生年
明治20(1887)年9月14日

没年
昭和56(1981)年8月6日

出生地
静岡県

学歴〔年〕
東京帝大農科大学獣医学科〔大正4年〕卒

学位〔年〕
獣医学博士

経歴
東京帝大講師、助教授を経て、昭和10年教授として家畜解剖学講座を担当。農商務省畜産試験場技師を併任、有名な鶏の初生雛雌雄鑑別法を開発した。23年東大教授を退官し名誉教授となる。のち名大農学部に転じ、農学部長を務め、退官後名誉教授。この間、日本畜産学会長、日本遺伝学会長、日本学術会議会員、遺伝学研究所理事長などを歴任。その後増井家禽育種学研究所(現・家畜生物科学安全研究所)を設立し、初代理事長に就任。家畜解剖学、遺伝学の分野での基礎研究に数多くの業績をあげた。著書に「動物遺伝学」「家畜比較解剖学」「鶏の改良繁殖」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「増井清」の解説

増井清 ますい-きよし

1887-1981 大正-昭和時代の畜産学者。
明治20年9月14日生まれ。昭和10年東京帝大教授となる。のち名大教授。鶏の初生雛雌雄鑑別法の開発で知られる。日本畜産学会,日本遺伝学会の会長。昭和56年8月6日死去。93歳。静岡県出身。東京帝大卒。著作に「動物遺伝学」「家畜比較解剖学」。

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367日誕生日大事典 「増井清」の解説

増井 清 (ますい きよし)

生年月日:1887年9月14日
大正時代;昭和時代の畜産学者。東京大学教授;名古屋大学教授
1981年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の増井清の言及

【雌雄鑑別】より

…熟練した鑑別師は競技会で100羽の雛を100%の精度で3分間で鑑別する。この鑑別法は増井清らによって開発された日本独特の技術で,日本人鑑別師が世界各国で活躍してきた。(2)機械鑑別法 チックテスターという光学機械を用いて,機械の先端のガラスの曲管を雛の直腸に挿入し,腹腔内の生殖腺を直腸壁を通して外部からのぞいて鑑別する方法。…

※「増井清」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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