増田義一(読み)マスダ ギイチ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「増田義一」の解説

増田 義一
マスダ ギイチ


肩書
衆院議員(日本進歩党),実業之日本創立

生年月日
明治2年10月21日

出生地
新潟県

学歴
東京専門学校政治科〔明治26年〕卒

経歴
代用教員や高田新聞記者をつとめて東京専門学校に入学。在学中、改進党政治運動をする。読売新聞記者を経て、明治33年実業之日本社を創立し、「婦人世界」「日本少年」「少女の友」や文芸書を多く出版。また45年以来昭和17年までの間に衆院議員に8回当選。6年には衆院副議長も務めた。実業人としても大日本印刷会社などの創立に参与し、少年教育、社会事業に尽力した。著書に「金貨本位之日本」「青年修養」などがある。

没年月日
昭和24年4月27日

家族
長男=増田 義彦(実業之日本社社長) 孫=増田 義和(実業之日本社社長)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「増田義一」の解説

増田 義一
マスダ ギイチ

明治〜昭和期の出版人,実業家,政治家 実業之日本社創立者;衆院議員(日本進歩党)。



生年
明治2年10月21日(1869年)

没年
昭和24(1949)年4月27日

出生地
新潟県

学歴〔年〕
東京専門学校政治科〔明治26年〕卒

経歴
代用教員や高田新聞記者をつとめて東京専門学校に入学。在学中、改進党の政治運動をする。読売新聞記者を経て、明治33年実業之日本社を創立し、「婦人世界」「日本少年」「少女の友」や文芸書を多く出版。また45年以来昭和17年までの間に衆院議員に8回当選。6年には衆院副議長も務めた。実業人としても大日本印刷会社などの創立に参与し、少年教育、社会事業に尽力した。著書に「金貨本位之日本」「青年と修養」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「増田義一」の解説

増田義一 ますだ-ぎいち

1869-1949 明治-昭和時代の出版人,政治家。
明治2年10月21日生まれ。読売新聞記者をへて,明治33年実業之日本社を創立して社長となる。「実業之日本」「婦人世界」などおおくの雑誌刊行。大日本印刷などの創立にかかわる。45年衆議院議員(当選8回,日本進歩党),昭和6年副議長。日本雑誌協会会長。昭和24年4月27日死去。81歳。越後(えちご)(新潟県)出身。東京専門学校(現早大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「増田義一」の解説

増田 義一 (ますだ ぎいち)

生年月日:1869年10月21日
明治時代-昭和時代の出版人;政治家
1949年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の増田義一の言及

【実業之日本】より

…1897年,読売新聞記者であった増田義一(1869‐1949)と光岡威一郎(1869‐1900)が設立した大日本実業学会から〈実業の発達振興〉をめざして創刊された月刊雑誌。編集兼発行人光岡威一郎。…

※「増田義一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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