壱岐島分寺跡(読み)いきとうぶんじあと

日本歴史地名大系 「壱岐島分寺跡」の解説

壱岐島分寺跡
いきとうぶんじあと

[現在地名]芦辺町国分 本村触

壱岐島のほぼ中央部にある古代寺院の跡。古代の諸国国分寺の一つ壱岐国分寺で、史料上は島分寺とする場合が多い(斉衡二年一一月九日「太政官符」類聚三代格など)。壱岐国分寺跡として県指定史跡。

〔古代〕

天平一三年(七四一)聖武天皇により国分寺建立の詔が出されたが、諸国ともに順調に造営が進んでいるわけではなく、「壱岐嶋」の「国分僧尼両寺」の場合は同一六年に至ってその造寺用料が肥前国に割当てられるという状態であった(同年七月二三日「詔」類聚三代格)。天平勝宝七年(七五五)一二月には壱岐を含む薩摩国・対馬島など西海道五ヵ国島の講師が停止され(前掲太政官符)、翌年一二月に諸国国分寺に灌頂幡一具を給した際にも壱岐を含むこれら西海道五ヵ国島はその例から除かれており(「続日本紀」天平勝宝八歳一二月二〇日条)、なおその寺基が定まっていなかったことが知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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