第二次世界大戦中から戦後にかけて、主食を外食とする者のために地区役所より交付された食券。1941年(昭和16)食糧事情の逼迫(ひっぱく)から六大都市では米穀通帳制が実施され、この制度のなかに、米飯外食券の制度も組み入れられた。職場などで米飯食をとる者は、この食券を職場に差し出すことで、職場が米穀の配給を受ける仕組みであった。しかし需給状況のいっそうの悪化に伴って、食堂、旅館などの業務用主食にも大幅な制限が必要となり、旅行者用外食券制度が実施されるようになった。狭義には外食券は、この旅行者用外食券をいうことが多い。外食券食堂が指定されて、これ以外の飲食店では主食はいっさい配給されないことになった。主食外食者は米穀通帳を提示して、外食券の交付を受け、これを外食券食堂に渡して、米飯類を食す仕組みである。しかし、終戦直前から戦後にかけての食糧事情悪化のなかでは、外食券食堂の主食販売量も少なく、店は大混雑を示す光景がみられた。またこの外食券は闇値(やみね)で取引されることも多くなり、1947年(昭和22)入浴料が2円の当時、1食1枚分の闇値が10円だったという例もある。しかし50年ごろより食糧事情が好転、外食券利用者は激減し、飲食店が事実上主食類を販売するようになってからは形骸(けいがい)化して、69年には廃止された。
[梶 龍雄]
… 駅弁販売は,その始まりから今日までまったく無休で行われており,完全休止は1923年9月の関東大震災時の被災地域内における列車不通の数日間にすぎず,第2次大戦時の空襲下でも販売された。内容,味ともに最低だったのは戦中戦後で,食糧管理法の規制で,外食券(1食分のグラム量を表示した回数券様式で各人に配布された)に現金を添えて買った。米飯はごく少量で副食はヒジキの塩煮だけ,またはふすまを混ぜたパンに,副食はカボチャとダイコン,ニンジンの葉の塩煮などで,肉も魚も皆無,それでもホームには風雨寒暑をいとわず長蛇の列ができた。…
※「外食券」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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