多々良浜の戦(読み)たたらはまのたたかい

改訂新版 世界大百科事典 「多々良浜の戦」の意味・わかりやすい解説

多々良浜の戦 (たたらはまのたたかい)

1336年(延元1・建武3),筑前多々良浜(現,福岡市東区)で起こった足利尊氏方と菊池氏阿蘇氏との合戦。同年2月尊氏は京都で新田氏,楠木氏などに敗れ,西走して長門赤間関に至り,少弐頼尚,宗像大宮司らに迎えられて九州に入る。3月2日九州一円の武士をかなり味方につけ,足利尊氏・直義は多々良浜の決戦大勝する。その戦況は《太平記》や《梅松論》に活写され,両軍兵力は菊池勢4万~5万騎,足利勢300騎とも記される。それはともかく,敗れた阿蘇大宮司惟直は重傷を負い間もなく自害菊池武敏は本拠肥後に帰国した。尊氏はそれから1ヵ月間,大宰府に滞在,とくに菊池武敏と南九州の肝付(きもつき)兼重を討伐するために,九州・西中国の諸勢力に対して種々の文書を発している。南九州には畠山直顕を国大将として派遣,大宰府には一色範氏をのこして九州探題とし,4月初め尊氏みずからは大宰府を発して東上の途についた。
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百科事典マイペディア 「多々良浜の戦」の意味・わかりやすい解説

多々良浜の戦【たたらはまのたたかい】

1336年,筑前(ちくぜん)国多々良浜(現福岡市東区)で行われた足利尊氏と菊池氏・阿蘇氏との合戦。同年2月尊氏は京都で新田義貞・楠木正成らに敗れて九州へ逃れたが,そこでかなりの武士を味方につけ,3月2日多々良浜の戦で大勝。以後大宰府に滞在して九州・西中国の諸勢力を味方にしようと尽力し,4月初め京都への東上を開始した。
→関連項目阿蘇惟時

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世界大百科事典(旧版)内の多々良浜の戦の言及

【筑前国】より

…1336年(延元1∥建武3)2月宮方の菊池武敏が大宰府を攻め,少弐貞経を自殺させた。その直後に京都を追われた足利尊氏が筑前に到着し,同年3月菊池氏の大軍を多々良浜の戦で破り,大宰府に入った。尊氏は一色範氏を鎮西管領として博多に残し東上した。…

※「多々良浜の戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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