多宝寺跡(読み)たほうじあと

日本歴史地名大系 「多宝寺跡」の解説

多宝寺跡
たほうじあと

[現在地名]鎌倉市扇ガ谷二丁目

鎌倉時代から室町時代に存在した律宗寺院。いずみやつの入口から三番目の、南に向かって開口する支谷一帯にある。扇谷山と号し、弘長二年(一二六二)頃に開基北条業時、開山忍性で草創されたらしい(忍性菩薩行状略頌など)。鎌倉では極楽ごくらく寺、称名しようみよう(現横浜市金沢区)とともに奈良西大さいだい寺系律宗の拠点寺院の一つであった。

徳治元年(一三〇六)六月には順忍が住持(「極楽寺長老順忍舎利瓶器銘」県史二)。「金沢文庫古文書」の聖教類の奥書によれば、正安二年(一三〇〇)をはじめ多数の書写が当寺でなされている。

多宝寺跡
たほうじあと

[現在地名]吹上町中原

伊作いざく城跡西方に位置する。仏母山と号し、臨済宗本尊薬師如来。江戸時代は広済こうさい(現伊集院町)末寺。明徳元年(一三九〇)伊作島津家久義が翁を開山として創建した伊作島津家の菩提寺で、伊作家代々の位牌と石塔がある。「伊作名勝志再撰帳」では開山を益堂とし、元は湯之浦ゆのうら西屋敷にあったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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