国指定史跡ガイド 「多気北畠氏城館跡」の解説
たげきたばたけしじょうかんあと【多気北畠氏城館跡】
三重県津市美杉町にある城館跡。指定名称は「多気北畠氏城館跡 北畠氏館跡(きたばたけしやかたあと) 霧山城跡(きりやまじょうあと)」。北畠氏は南北朝時代に国司として伊勢国に入り、その後、室町~戦国時代を通じて、山間部ではあるものの大和と伊勢平野を結ぶ要衝に位置する多気の地を拠点として、伊勢国を支配した。北畠氏館跡は、多気の中央に位置し、東・南・北の三方を川で、西を北畠氏の本城である霧山城から続く急峻な斜面で区画されている。館跡は南北約200m、東西約110mの台形状の地にあり、現在はその上段部が北畠神社になっている。1936年(昭和11)に霧山城跡が国の史跡に、北畠氏館跡に付随する庭園跡が名勝・史跡に指定された。その後、1996年(平成8)からの館跡の調査によって、15世紀前半に造成された遺構では、日本最古の石垣や多くの建物跡が確認され、中国産の陶磁器や日本各地から運ばれた陶器、武具、仏具なども出土した。そこで、2006年(平成18)に北畠氏館跡の全域、霧山城と館跡をつなぐ範囲について追加指定され、多気北畠氏城館跡と名称変更された。北畠氏城館跡へは、JR名松線比津(ひつ)駅から車で約10分。