大乗戒を授与する壇場。765年,中国の大興善寺に設けられた戒壇の名にちなみ方等(ほうどう)戒壇ともいう。とくに最澄が設置をめざした戒壇(円頓(えんどん)戒壇とも)のことをいう。奈良時代,出家するためには天下の三戒壇とよばれる奈良東大寺,筑紫観世音寺,下野薬師寺のいずれかの戒壇で受戒しなければならなかった。そこでの戒は小乗戒で,菩薩戒授受のための戒壇はなかった。最澄はその不備をつき,天台宗の僧侶は大乗戒である梵網戒をうけるべきとして比叡山に独立の戒壇を設置する勅許を求めた。822年(弘仁13)最澄死後7日目にこれが認められ,以後比叡山僧侶の身分決定の場として機能した。
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…ここに日本の天台宗が開立されたのである。この勅許は,和気広世の斡旋にあずかるところが大きいと思われるが,しかし最澄が天皇の病床に侍した功に対する恩賞の色あいが濃く,真の教団の成立は大乗戒壇の設立にまたねばならない。この年3月に桓武天皇が崩御すると,最大の外護(げご)者を失った最澄とその新生の教団はやや沈滞期に入った。…
…《六条式》では806年(大同1)に勅許された天台宗の年分度者には大乗戒を授け,12年間籠山(ろうざん)せしめて所定の修学を課すこと,《八条式》では12年間の修学の方法,学生の待遇などを,それぞれ定めている。《四条式》は天台宗年分の学生ならびに他宗より来た者は小乗戒を受けることを禁じ,大乗戒をもって大僧となさんとする制条で,大乗戒壇設立の宣言といえる。僧綱のはげしい攻撃をうけ,最澄は《顕戒論》を著して反論した。…
※「大乗戒壇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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