大会堂(読み)だいえどう

日本歴史地名大系 「大会堂」の解説

大会堂
だいえどう

[現在地名]高野町高野山

蓮花乗れんげじよう院・会堂ともいう。愛染あいぜん堂の東隣に南向きに建つ。桁行五間・梁間六間、総檜皮葺本尊は丈六の阿弥陀如来。安元元年(一一七五)鳥羽院の菩提のために、皇女五辻斎院頌子内親王によって長日不断の談義所として法幢院ほうどういん谷に創建された。治承元年(一一七七)西行が奉行をつとめ、壇上の現在地に移した。承安五年(一一七五)六月二四日の前斎院庁下文(宝簡集)によると、紀伊国南部みなべ荘内の田一〇町が仏餉灯油人供料として寄進されているから、創建はこれ以前に開始されていたと考えられる。安元三年六月には五辻斎院亡き後、南部荘を蓮花乗院に寄進すべきことが定められ(同月二二日「春日局消息」同集)、承元二年(一二〇八)全荘が寄進されたと考えられる(建久五年四月日「前斎院庁寄進状」同集)。三間四面の檜皮葺で丈六の金色阿弥陀如来像一体、白檀の釈迦如来像一体などを安置し、同年一一月に移築が完成し、検校房光を導師に、三〇口聖人を色衆として落慶供養が行われ、同時に伝法大会が始行された(高野春秋)

文治五年(一一八九)供僧三口が新たに設置され(同年閏四月一五日「東寺長者法務御教書」宝簡集)、同年六月から長日供養法として毎日阿弥陀法一座が修され、江戸時代後半には衆分の上臈六人が結番して長日供養法を勤めた(続風土記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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