大倉沢村(読み)おおくらざわむら

日本歴史地名大系 「大倉沢村」の解説

大倉沢村
おおくらざわむら

[現在地名]大内町大倉沢

いも川中流の左岸にあり、北東加賀沢かがさわ村、西は徳沢とくさわ村に接する。古くは芋川が蛇行し集落の近くを流れていたが、元文五年(一七四〇)徳沢村細田ほそだでの掘割工事の結果現在の流路が定まり、水害から免れることになった(大内村郷土誌)

慶長九年(一六〇四)の本庄豊前守満茂書(秋田藩家蔵文書)に「大蔵村」とあり、当村をさすと思われる。

大倉沢村
おおくらさわむら

[現在地名]守門村大倉沢

破間あぶるま川右岸にある。下流三淵沢みふちさわ村、上流福田ふくだ新田対岸須川すがわ村。北の大倉村へ至る途中にある中山なかやまの集落は枝村。慶長一〇年(一六〇五)検地帳(守門村史)では田畑合計五町余・高五三石四斗余。正保国絵図に村名がみえ、高四八石余。天和三年郷帳では高八四石七斗余、ほかに同所中山新田高一九石五斗余がある。寛保三年(一七四三)に糸魚川藩領となる。年不詳の糸魚川領魚沼郡二十三ケ村御水帳写(石野武教氏蔵)では田五町二反余・畑二町五反余、漆木一〇本、青苧畑八畝余がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報