大内荘(読み)おおうちのしょう

百科事典マイペディア 「大内荘」の意味・わかりやすい解説

大内荘【おおうちのしょう】

丹後国加佐郡大内郷(《和名抄》)に成立した荘園で,吉囲(よしい)荘ともいった。現京都府舞鶴市上安(うやす)に字名〈吉井〉があり,同所を含む一帯に比定される。大内郷は1184年開発領主平辰清から八条院女房弁殿御局に寄進されたが(ただし地頭職は留保),このなかの1部〈吉囲荘本家職〉がさらに八条院に寄進され,女房弁局はその預所に補任された。その後1338年には〈大内郷吉囲荘領主職〉のうち下地3分の1が,辰清の子孫2人から東寺(教王護国寺)に寄進されている(領主職は辰清が先に留保した地頭職を意味する)。このあと東寺領吉囲荘は大内荘とよばれるようになったが,14世紀には六波羅蜜(ろくはらみつ)寺領と推定される大内荘が史料にみえ,15世紀には北野社(北野天満宮)領吉囲荘(大内荘)も存在した。

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改訂新版 世界大百科事典 「大内荘」の意味・わかりやすい解説

大内荘 (おおうちのしょう)

丹後国加佐郡(現,京都府舞鶴市の一部)の荘園。東寺領。開発領主平辰清は1184年(元暦1)子孫の地頭職所帯を条件にして八条院女房弁局に寄進したが,同局は86年(文治2)預所職=領主職を留保して本家職を八条院に寄進した。1315年(正和4)にいたって領主職を源時重・政茂が半分ずつ分けて伝領したが,38年(延元3・暦応1)時重・政茂は下地3分の2を子孫相伝とし,残り3分の1を東寺御影堂に寄進した。そして本家年貢60石のうち20石を長日理趣三昧の供料に資し,廿一口供僧の進止にまかせた。これ以前大内荘雑掌道円が地頭代以下輩の濫妨停止を訴え,鎌倉幕府の裁きによって,1313年に勝訴している。東寺への寄進に際して時重・政茂が作成した〈大内庄相伝文書案〉1巻が《東寺百合文書》に伝わっている。
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