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八条院 はちじょういん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

八条院
はちじょういん

[生]保延3(1137).4.8. 京都
[没]建暦1(1211).6.26. 京都
鳥羽天皇の第3皇女。名,しょう子。法名,金剛観。母は贈太政大臣藤原長実の娘,皇后得子 (美福門院) 。保延4 (1138) 年内親王宣下,久安2 (46) 年には准三宮の宣旨をこうむり,本封のほか 1000戸を与えられた。

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百科事典マイペディアの解説

八条院【はちじょういん】

平安末〜鎌倉初期の女院(にょいん)。鳥羽天皇の第3女。母は藤原長実(ながざね)の女美福門院得子(びふくもんいんとくし)。名は【しょう】子(しょうし)。1138年に内親王,1146年に准三宮(じゅさんぐう)となる。
→関連項目大内荘千葉荘拝師荘(拝志荘)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

八条院 はちじょういん

1137-1211 平安後期-鎌倉時代,鳥羽(とば)天皇の皇女。
保延(ほうえん)3年4月8日生まれ。母は美福門院得子(とくし)。内親王,准三宮(じゅさんぐう)となるが,保元(ほうげん)2年出家。応保元年(1161)二条天皇の准母として八条院の院号をあたえられる。皇后とならずに女院となった最初の例。膨大な八条院領を有し,政治的におおきな影響力をもった。建暦(けんりゃく)元年6月26日死去。75歳。名は暲子(しょうし)。法名は金剛観。

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世界大百科事典 第2版の解説

はちじょういん【八条院】

1137‐1211(保延3‐建暦1)
平安末~鎌倉初期の女院(によいん)。鳥羽天皇の第3女。母は藤原長実の女美福門院得子。名は子。1138年(保延4)内親王,46年(久安2)准三宮となる。父母の寵愛厚く,55年(久寿2)近衛天皇の死後,鳥羽は子を女帝に立てようとしたといわれる(《今鏡》)。57年(保元2)出家し法名は金剛観,61年(応保1)二条天皇の准母として院号宣下。后位を経ることなく院号を得た初例とされている。八条東洞院を居所とし,膨大な院領を保持する八条院は,その後も政治に影響力をもった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

八条院
はちじょういん
(1137―1211)

(しょうし)内親王。鳥羽(とば)天皇第五皇女。母は美福門院(びふくもんいん)。1146年(久安2)准三后(じゅさんごう)、57年(保元2)落飾、法名金剛観(こんごうかん)。61年(応保1)八条院の院号を宣下(せんげ)された。両親の寵愛(ちょうあい)を受け、膨大な所領を譲られ、八条院領としてたいへんな勢力があった。後鳥羽(ごとば)天皇皇女昇子(しょうし)を猶子(ゆうし)とし、この所領は同天皇に伝えられた。後半生は両親の菩提(ぼだい)を弔うことに専心した。墓は京都市鳴滝(なるたき)[飯倉晴武]

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世界大百科事典内の八条院の言及

【平頼盛】より

…後白河院庁別当。また八条院の乳母の娘宰相局(さいしようのつぼね)(後白河院近臣の僧俊寛の姉妹)を妻とした関係から,八条院ときわめて近い関係にあった。この八条院および後白河院と密接な関係にあったことが,平家一門の中での頼盛の立場を微妙なものとした。…

【女院】より

…なお郁芳門院は堀河天皇の准母であるが,従来の例とは異なり非妻后の皇后である。さらに鳥羽上皇の皇女子内親王も皇后に冊立されなかったが,准三宮(じゆさんぐう)の宣下をうけ,ついで二条天皇の准母となって1161年(応保1)12月八条院の院号を宣下され,また後白河天皇皇女覲子内親王も妻后でなかったが准后宣下を被り,1191年(建久2)6月宣陽門院号を下されている。なお宣陽門院は八条院とは違い,准母ではなかったが,准后を共通にしている。…

【矢野荘】より

…秦氏はこれを修理大夫藤原顕季に寄進,それが顕季の孫で鳥羽上皇の皇后美福門院得子に伝えられ,1136年(保延2)鳥羽院庁牒によって正式に立券,ここに美福門院領として矢野荘を称することとなった。美福門院は御願寺として歓喜光院を創建,矢野荘はその所領となったが,美福門院の没後はその子八条院子に伝えられた。67年(仁安2)美福門院の乳母伯耆局は矢野荘領家職を賜るが,このとき矢野荘の一部を歓喜光院の寺用にあてることとした。…

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