日本歴史地名大系 「大分廃寺」の解説 大分廃寺だいぶはいじ 福岡県:嘉穂郡筑穂町大分村大分廃寺[現在地名]筑穂町大分 塔床三郡(さんぐん)山から東に延びた台地上にある古代の寺院跡。大分廃寺塔跡として国の史跡に指定されている。近くには神亀三年(七二六)創建と伝える大分八幡宮があり、付近を大宰府政庁から豊前地方へ抜ける官道が通っていたとされる。平成三―七年(一九九一―九五)に発掘調査が行われた。塔跡には心礎を含め花崗岩の礎石が一五個残存する。心礎は円形柱座を造り出し、柱のくり込みは径八〇センチ・深さ九センチで二本の排水溝がある。一四個の礎石も円形柱座がある。柱間は二・三五メートルの等間隔で、塔建物一辺の長さ二四尺(七・〇五メートル)、基壇一辺の長さ四四尺(一二・九三六メートル)、基壇の高さ四尺(一・一二メートル)前後である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
事典・日本の観光資源 「大分廃寺」の解説 大分廃寺 (福岡県飯塚市)「福岡県文化百選 歴史散歩編」指定の観光名所。 出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報 Sponserd by