日本大百科全書(ニッポニカ) 「大塚晶則」の意味・わかりやすい解説
大塚晶則
おおつかあきのり
(1972― )
プロ野球選手(右投右打)。大阪近鉄バファローズ(現オリックス・バファローズ)、中日ドラゴンズ、大リーグ(メジャー・リーグ)のサンディエゴ・パドレス、テキサス・レンジャーズで救援投手としてプレー。
1月13日、千葉県に生まれる。東海大学を卒業後、社会人野球の日本通運を経て、1997年(平成9)ドラフト逆指名でバファローズに入団。大学時代は4年春に最優秀投手賞に選ばれ、社会人時代は1996年の都市対抗野球に出場している。球威のある速球と独特の落差のあるスライダーで、プロ1年目から活躍。同年は82回3分の2を投げ、4勝5敗ながら7セーブをあげ、防御率2.07で三振127を奪う。1998年は抑え投手(クローザー)としての地位を築き、35セーブで初のセーブ王となる。1999年は故障で登板が25試合に激減したが、2000年に24セーブをあげて復活。以降、2002年まで3年連続20セーブ以上を記録する。2002年のシーズンオフ、ポスティング(入札)制度で大リーグ移籍を試みるが入札球団がなく、03年3月中日にトレードで移籍。同年は51試合に登板、1勝3敗17セーブ、防御率2.09をマークして新戦力としての役割を果たす。シーズンオフにふたたびポスティング制度で大リーグ入りに挑戦、その結果パドレスに独占交渉権が与えられ、2年185万ドルで契約を結ぶ。2004年はおもに抑え投手につなぐセットアップマンとして73試合に登板、13試合連続無失点をマークするなど、7勝2敗2セーブ、防御率1.75の好成績をあげた。また、相手打者を抑えるたびに口にする「ヨッシャ!!」は大塚の代名詞となり、地元サン・ディエゴで人気を集める。2005年は制球に苦しみ、2勝8敗1セーブ、防御率3.59にとどまったが、1998年以来の地区優勝に貢献。シーズンオフに交換トレードでレンジャーズに移籍した。2006年は3月にワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表の抑え投手として出場。決勝の対キューバ戦でセーブを記録するなど、優勝に貢献した。シーズンに入っても、自軍の抑え投手の不調で抑え役を任され、32セーブをあげる活躍をみせた。
[出村義和]
2007年以降
2007年は右肘(ひじ)の故障もあり、34試合の登板で、2勝1敗4セーブ、防御率2.51。シーズン終了後にレンジャースを退団、2008年1月右肘の手術に踏み切った。
日本での7年間の通算成績は、登板試合305、投球回350と3分の2、14勝23敗、セーブ137、防御率2.39、奪三振474、完投0、完封0。獲得したタイトルは、最優秀救援投手1回。2007年までの大リーグ通算成績は、登板試合236、投球回232、13勝15敗、セーブ39、防御率2.44、奪三振217、完投0、完封0。
[編集部]