日本歴史地名大系 「大宝八幡神社」の解説
大宝八幡神社
だいほうはちまんじんじや
大宝沼(糸繰川)東岸の台地に南面して鎮座する。拝殿前の大鳥居から南に長い参道が直進し、
社伝によると大宝元年(七〇一)に宇佐八幡宮を勧請して創建され、のち源頼義が前九年の役で凱旋の途次祭祀田を寄進、源頼朝は奥州征討に際し、下河辺行平をして鎮守府八幡宮(現若宮八幡神社)を勧請せしめ若宮八幡宮とし、下妻広幹が両社に奉仕したという。「吾妻鏡」建久三年(一一九二)九月一二日条所引の将軍家政所下文にある下妻宮は当社に比定される。鎌倉時代に当社の別当職は常陸国三宮である吉田神社の神宮寺
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報