大宝八幡神社
だいほうはちまんじんじや
大宝沼(糸繰川)東岸の台地に南面して鎮座する。拝殿前の大鳥居から南に長い参道が直進し、大串を経て平沼地内に及ぶ。祭神は誉田別命・足仲彦命・気長足姫命。境内社に若宮八幡神社(祭神大鷦鷯命)、黒鳥神社(祭神大国主命・少彦名命)、白鳥神社(祭神日本武尊)、天満宮がある。旧県社。
社伝によると大宝元年(七〇一)に宇佐八幡宮を勧請して創建され、のち源頼義が前九年の役で凱旋の途次祭祀田を寄進、源頼朝は奥州征討に際し、下河辺行平をして鎮守府八幡宮(現若宮八幡神社)を勧請せしめ若宮八幡宮とし、下妻広幹が両社に奉仕したという。「吾妻鏡」建久三年(一一九二)九月一二日条所引の将軍家政所下文にある下妻宮は当社に比定される。鎌倉時代に当社の別当職は常陸国三宮である吉田神社の神宮寺薬王院(現水戸市)に移り、大宝八幡神社文書の永仁五年(一二九七)から応安八年(一三七五)に至る約三〇通の文書(写本のみ残存)には当社の別当職に補任された覚舜・舜海・源舜・源成などの名があり、いずれも薬王院別当ないしその弟子である。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の大宝八幡神社の言及
【大宝城】より
…城地は大宝沼に突出した舌状台地上にあり,東・西・北面は断崖,南は土塁と空堀とで敵を防ぐ。城跡の一部に,古代から中世にかけてこの地域の宗教の中心的位置を占めた,大宝八幡神社(下妻宮)がある。周囲の沼地は明治末年水田化され,城跡も地形の改変が著しい。…
※「大宝八幡神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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