20世紀日本人名事典 「大島久直」の解説 大島 久直オオシマ ヒサナオ 明治・大正期の陸軍大将,子爵 近衛師団長。 生年嘉永1年9月5日(1848年) 没年昭和3(1928)年9月28日 出生地出羽国久保田(秋田県) 経歴秋田藩士の子に生まれる。明治4年陸軍中将。西南戦争に従軍後、陸軍省総務局次長などを歴任。明治23年から29年まで通算約3年間陸軍大学校校長を務め、幕僚・教官・指揮官の養成、特に用兵高等化に尽力した。教え子には田中義一・山梨半造らがいる。25年歩兵第5旅団長、同年監軍部参謀長などを経て、日清戦争では歩兵第6旅団長として出征、のち台湾総督府参謀長を務める。日露戦争では第9師団長として旅順包囲作戦に参加。39年大将となり、近衛師団長、教育総監、軍事参議官を歴任。子爵を授かる。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「大島久直」の解説 大島久直 没年:昭和3.9.27(1928) 生年:嘉永1.9.5(1848.10.1) 明治大正期の陸軍軍人。秋田藩士の子。西南戦争従軍後,陸軍省総務局次長などを歴任。明治23(1890)年6月から通算約3年間陸軍大学校校長を務め,幕僚,教官,指揮官の養成,特に用兵高等化に尽力。教え子には,田中義一,山梨半造らがいる。日清戦争では第1軍第3師団第6旅団長として海城で戦い,多数の犠牲者を出す。日露戦争では第3軍第9師団長として,旅順包囲作戦を行う。ロシア軍陣地の正面占領と同軍防御線分断をめざし,包囲線を構築した。39年5月大将に進み,近衛師団長,教育総監を歴任。<参考文献>上法快男編『陸軍大学校』,海野福寿『日清・日露戦争』 (山村義照) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大島久直」の解説 大島久直 おおしま-ひさなお 1848-1928 明治-大正時代の軍人。嘉永(かえい)元年9月5日生まれ。明治4年陸軍中尉。日清(にっしん)戦争では歩兵第六旅団長。のち台湾総督府参謀長,陸軍大学校長。日露戦争では第九師団長として旅順攻撃に参加。39年大将。昭和3年9月28日死去。81歳。出羽(でわ)久保田(秋田県)出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by