大島 宇吉
オオシマ ウキチ
- 肩書
- 衆院議員(立憲政友会),新愛知新聞社社長
- 生年月日
- 嘉永5年3月6日(1852年)
- 出生地
- 愛知県小幡村
- 経歴
- 漢字者富永梅雪に漢学を学ぶ。明治13年小幡村戸長、17年愛知県議となった。19年「無題号新聞」、次いで「愛知絵入新聞」を発刊、21年改題して「新愛知」を創刊、23年社長となった。大正8年立憲政友会から衆院議員に当選。昭和8年には東京で「国民新聞」を経営。9年日本放送協会評議員、同盟通信理事を務め、10年国民新聞会長となる。
- 没年月日
- 昭和15年12月31日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
大島 宇吉
オオシマ ウキチ
明治〜昭和期の政治家,新聞経営者 新愛知新聞社社長;衆院議員(立憲政友会)。
- 生年
- 嘉永5年3月6日(1852年)
- 没年
- 昭和15(1940)年12月31日
- 出生地
- 愛知県小幡村
- 経歴
- 漢字者富永梅雪に漢学を学ぶ。明治13年小幡村戸長、17年愛知県議となった。19年「無題号新聞」、次いで「愛知絵入新聞」を発刊、21年改題して「新愛知」を創刊、23年社長となった。大正8年立憲政友会から衆院議員に当選。昭和8年には東京で「国民新聞」を経営。9年日本放送協会評議員、同盟通信理事を務め、10年国民新聞会長となる。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
大島宇吉 おおしま-うきち
1852-1940 明治-昭和時代前期の新聞経営者,政治家。
嘉永(かえい)5年3月6日生まれ。明治20年「愛知絵入新聞」を発刊。21年改題して「新愛知新聞」(「中日新聞」の前身)を創刊する。昭和8年東京に進出し「国民新聞」の経営にあたった。愛知県会議員をへて,大正8年衆議院議員(政友会)。昭和15年12月31日死去。89歳。尾張(おわり)(愛知県)出身。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
大島宇吉
おおしまうきち
[生]嘉永5(1852).3.6. 尾張
[没]1940.12.31.
『新愛知』 (現在の『中日新聞』) の創刊者。自由民権運動に参加したのち 1887年『愛知絵入新聞』を創刊。翌年『新愛知』と改題。政友会系の新聞として発展させた。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
大島 宇吉 (おおしま うきち)
生年月日:1852年3月6日
明治時代-昭和時代の政治家;新聞経営者。「国民新聞」経営者
1940年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報