大島 正健
オオシマ マサタケ
明治〜昭和期の言語学者,教育家 同志社教授;札幌農学校教授。
- 生年
- 安政6年7月15日(1859年)
- 没年
- 昭和13(1938)年3月11日
- 出生地
- 相模国高座郡海老名村(現・神奈川県)
- 学歴〔年〕
- 札幌農学校(現・北海道大学)〔明治13年〕卒
- 学位〔年〕
- 文学博士〔昭和3年〕
- 経歴
- 東京英語学校を経て、明治9年札幌農学校第1期生として入学。同校の教頭を務めていたW.C.クラーク博士の影響によりキリスト教徒となる。13年卒業と同時に母校に勤務し、19年教授。傍ら、1期下の内村鑑三らと札幌基督教会を創設、牧師を務めた。26年同志社大学教授に転じ、のち各地の中学校長を歴任。キリスト教に基づく全人教育を施したクラークの精神を説き、教育界に影響を与えた。また言語学、中国古韻学の大家として知られ、「韻鏡」の研究に携わり、その字音を明らかにすることに努めた。著書に国語音韻の地方的分布について考察した「音韻漫録」、「支那古韻史」「漢音呉音の研究」「国語の語根と其分類」などの他、「クラーク先生とその弟子たち」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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大島正健
おおしままさたけ
(1859―1938)
漢字音研究家。相模(さがみ)国(神奈川県)に生まれる。札幌農学校(北海道大学の前身)卒業。1889年(明治22)母校教授となり、その後各地の旧制中学校校長などを歴任、東京文理科大学(現、筑波(つくば)大学)講師(1932~1934)も務めた。中国の韻図で、漢字音の体系を43図に図示した『韻鏡(いんきょう)』の研究に力を注ぎ、『韻鏡音韻考』『韻鏡新解』『改訂韻鏡』『韻鏡と唐韻広韻』などを著し、さらに、中国漢字音、日本漢字音に関する『支那(しな)古韻史』『漢音呉音の研究』『翻切(ほんせつ)要略』『字音かなづかひ便法』など数多くの業績を残した。
[沼本克明 2018年10月19日]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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大島正健 おおしま-まさたけ
1859-1938 明治-昭和時代前期の言語学者。
安政6年7月25日生まれ。札幌農学校第1期生。母校の教授をへて同志社教授,甲府中学校長などをつとめる。中国古韻学の研究で知られ,「韻鏡音韻考」「支那古韻史」などをあらわした。昭和13年3月11日死去。80歳。相模(さがみ)(神奈川県)出身。著作はほかに「クラーク先生とその弟子たち」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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大島 正健 (おおしま まさたけ)
生年月日:1859年7月15日
明治時代-昭和時代の教育者;牧師。文学博士;同志社大学教授
1938年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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