日本歴史地名大系 「原山遺跡」の解説
原山遺跡
はらやまいせき
原山遺跡
はらやまいせき
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
長崎県南島原(みなみしまばら)市北有馬町にある縄文時代終末期の最大支石墓(しせきぼ)群である。雲仙(うんぜん)岳の南西緩傾斜地で、1950年代から開拓に伴って支石墓が発見され、60~61年(昭和35~36)には日本考古学協会による発掘調査が行われた。三つの支群があり、第一群はもと十数基あったがすべて現存しない。第二群は6基、第三群は54基が現存してともに国指定史跡である。箱式石棺、土壙(どこう)、甕棺(かめかん)などを下部構造とし、上部に数個の支石を伴う上石を据えたもので、縄文晩期の壺(つぼ)、鉢などを副葬している。縄文文化から弥生(やよい)文化の転換期に、朝鮮半島ともっとも近い西北九州にいち早く伝来した支石墓文化の実態を示す遺跡である。
[小田富士雄]
…この文明の終末とほぼ同じころ,アーリヤ人がヒンドゥークシュ山脈を越えて西北インドに進入し,この文明の遺跡に近いパンジャーブ地方に定着して,前1200年を中心に《リグ・ベーダ》を編纂した。その後,前500年ころまでに主要なベーダ聖典が編纂され,いわゆるバラモン教の根本聖典が成立した。《リグ・ベーダ》の宗教は多神教であり,主として太陽神や火神などの自然神や司法神バルナ(水天)や武勇神インドラ(帝釈天)のような擬人化された神々が崇拝されている。…
…彼の従弟とされ,のちに彼に離反するデーバダッタDevadatta(提婆達多)からは狂象をけしかけられ,祇園精舎ではバラモンたちから女性と密通しているとの虚偽の告発がなされた。実際,釈迦の教えはバラモン教の階級制度や祭式至上主義を脅かすものであった。彼の教団では僧の順位は出身階級に関係なく,出家後の年数で決められた。…
…なお,〈朝鮮〉の項目のうち[生活文化と社会]を参照されたい。【依田 千百子】
[インド]
古代インドにおけるバラモン教の聖典ベーダの一部を構成する家庭祭式の書グリヒヤ・スートラ(前6~前3世紀ころ)には,家庭で行われていた一連の季節祭の儀軌がみられる。ベーダに伝えられる祭式の枠組みに従い,これらの祭りは複雑な手続による諸神格への火供(祭火に供物を投ずること)を中心に構成されるが,それに付け加えられたそれぞれの祭りに固有な儀礼からは,日常生活や生産活動に深くかかわる年中行事の要素をみることができる。…
…この過程でバラモンとクシャトリヤの間に最高位をめぐる争いもあったが,大局的にみると,前者が後者の統治権の正統性を宗教的に承認し,後者が前者を物質的に支えるという相互依存関係により,双方とも特権的身分を得ている。 バラモンの指導する祭式万能主義の宗教はバラモン教と呼ばれる。ドアーブ地方に成立したバラモン教は,アーリヤ文化の伝播に伴って周辺の地に伝わり,その結果,先住民のアーリヤ化が進行した。…
…ヒンドゥー教徒の中には,自分たちの宗教を〈サナータナ・ダルマSanātana‐dharma(永遠の法)〉とか〈バイディカ・ダルマVaidika‐dharma(ベーダの法)〉と呼ぶ人もいるが,それほど一般的とはいえない。 ヒンドゥー教という語は,しばしばバラモン教と区別して使用されることがある。この場合には,バラモン教は仏教興起以前に,バラモン階級を中心に,ベーダ聖典に基づいて発達した宗教を指す。…
…古代インドのバラモン教の聖典の総称。インド最古の文献であり,古代インドの宗教,神話はもちろん,社会事情一般を知るうえで不可欠の重要な資料とされる。…
※「原山遺跡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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