大橋巻子(読み)おおはし・まきこ

朝日日本歴史人物事典 「大橋巻子」の解説

大橋巻子

没年:明治14.12.23(1881)
生年:文政7.10.29(1824.12.19)
幕末勤王家,歌人。江戸日本橋の豪商佐野屋孝兵衛(菊池淡雅,旧姓大橋)と歌人菊池民子の娘。幼いころより母に学び和歌に優れ,のち大国隆正らについて国学を修める。儒者清水正順(大橋訥庵)を婿養子に迎え,訥庵の開いた思誠塾や尊王運動を助ける。訥庵および巻子の弟教中が文久2(1862)年,坂下門外の変で投獄された折の経過と心境を綴った『夢路日記』は志士の間で評判となり出版された。<著作>『大橋巻子家集』(平泉澄・寺田剛編『大橋訥庵先生全集』下)

(柴桂子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大橋巻子」の解説

大橋巻子 おおはし-まきこ

1824-1881 幕末-明治時代の歌人,国学者。
文政7年10月29日生まれ。菊池淡雅(たんが)・菊池民子の娘。儒者清水正順(大橋訥庵(とつあん))と結婚,父の実家大橋の家名をつぐ。母に和歌を,吉田敏成(としなり)らに国学をまなび,夫のひらいた思誠塾の運営をたすける。文久2年坂下門外の変で夫と弟の菊池教中が投獄されると救助奔走,「夢路の日記」に心境をしるした。明治14年12月23日死去。58歳。江戸出身。名は槙子ともかく。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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