大津留村(読み)おおつるむら

日本歴史地名大系 「大津留村」の解説

大津留村
おおつるむら

大分川の支流小挟間おばさま川の右岸にあったと考えられるが、詳しい位置は不明。九月一六日の大友親繁書状(田北一六文書)に「大つる」とみえ、田北六郎に対し同所での鹿狩に同道を促している。天正六年(一五七八)には御主殿作の役負担が「大津留之村」に一〇〇貫分賦課されている(二月二〇日「大友氏待屋奉行連署事書」大友家文書録)。当地一帯は豊後大神姓大津留氏が領有した地域で、大友親治の家督相続の際活躍し、加判衆の一人となった大津留繁綱(明応五年一〇月三日「大友氏加判衆連署書状」永弘文書)一族の本貫地であった。


大津留村
おおつるむら

[現在地名]大分市大津留

大野川と乙津おとづ川の分岐点に位置し、三方を川に囲まれる。北は大分郡亀甲かめこう村の枝郷大鶴おおつる村。海部郡に所属。大村とも記される(正保郷帳)。江戸時代を通じて臼杵藩領で、慶長一一年(一六〇六)の惣御高頭御帳によれば高一九八石余、宮川内村組。正保二年(一六四五)の稲葉能登守知行高付帳でも同高ですべて畑方。正保郷帳には丹生にゆう庄、水損所と記され、洪水による被害などを受けやすかったことがうかがわれる。


大津留村
おおつるむら

[現在地名]竹田市門田もんでん

緒方おがた川上流右岸にあり、北の対岸山田やまだ村。おか城下から玉来たまらい村を経て次倉つぎくら村へ至る街道に沿う。正保郷帳では倉木くらき郷に属し、田方六七石余・畑方七七石余で、柴山有・日損所と注記される。弘化物成帳では門田組のうち、村位は中、免九ツ七分、田一二六石余(一二町余)・畑二〇石余(三町五反余)・屋敷五石余(五反余)で、開田三斗余(一反余)・開畑三石余(五町六反余)がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android