新撰 芸能人物事典 明治~平成 「大浦みずき」の解説
大浦 みずき
オオウラ ミズキ
- 職業
- 女優 歌手 エッセイスト
- 本名
- 阪田 なつめ(サカタ ナツメ)
- 生年月日
- 昭和31年 8月29日
- 出生地
- 東京都 中野区
- 学歴
- 中野区立八中卒
- 経歴
- 小説家・阪田寛夫の二女。心臓の疾患を抱えながら宝塚音楽学校に入り、昭和49年「虞美人」で初舞台。“大浦みずき”の芸名は父の親友であった小説家・庄野潤三の命名による。50年雪組を経て、54年星組へ移り、「アンタレスの星」新人公演に主演。同年度の新人賞を受けた。58年花組の男役準トップとなるも、62年稽古中にひざの半月板を損傷して半年ほどの休演を余儀なくされ、懸命のリハビリで復帰。63年「キス・ミー・ケイト」でトップスターに昇格。長身を生かしたダンスで宝塚史上に残るダンスの名手として知られ、“宝塚のフレッド・アステア”と称された。平成元年のニューヨーク公演にも参加。3年「ヴェネチアの紋章」を最後に退団。この間、昭和59年の70周年記念式典で全生徒が合唱した宝塚賛歌を作詞した。退団後はミュージカルを中心に舞台で活躍、平成17年菊田一夫演劇賞、18年読売演劇大賞優秀女優賞を受賞。また、5年米歌手スティービー・ワンダーのオリジナル曲をタイトルにしたシングル「MY LOVE」で歌手デビュー。9年よりタンゴ歌手としても活動し、リサイタルも開催した。16年舞台生活30周年の集大成としてソング&ダンス・ショー「Dream by Dream」を上演。20年末に体調を崩して出演予定の舞台を降板し療養に努めたが、21年53歳で亡くなった。主な出演作に舞台「オクラホマ」「ベルサイユのばら」「会議は踊る」「女中たち」「蜘蛛女のキス」「リトル・ミー」「ワルツが聞こえる?」「ウナ・ノーチェ」「三文オペラ」「マレーネ」「イーストウィックの魔女たち」「ナイン」「NEVER GONNA DANCE」など。エッセイストとしても文才を発揮し、「夢・宝塚」「なつめでごじゃいます!」「と・て・ち・て・た」などの著書がある。
- 受賞
- 月刊ミュージカル・ミュージカルベストテン(平7年度)〔平成8年〕,菊田一夫演劇賞(第30回)〔平成17年〕「ナイン」「NEVER GONNA DANCE」,読売演劇大賞優秀女優賞〔平成18年〕
- 没年月日
- 平成21年 11月14日 (2009年)
- 家族
- 父=阪田 寛夫(小説家)
- 伝記
- 宝塚歌劇支局〈1〉おお宝塚!宝塚伝説―トップスターの新人時代宝塚 華麗なるスターたち―ACTRESS FILEおお宝塚―シャイ・ファーザー、娘を語る夢・宝塚 藪下 哲司 著阪田 寛夫 著薮下 哲司 著阪田 寛夫 著大浦 みずき 著(発行元 青弓社文芸春秋青弓社東宝文芸春秋小学館 ’05’94’92’92’92’91発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報