日本大百科全書(ニッポニカ) 「ナツメ」の意味・わかりやすい解説
ナツメ
なつめ / 棗
[学] Ziziphus
クロウメモドキ科(APG分類:クロウメモドキ科)ナツメ属の一群で、温帯のヨーロッパ南東部から東アジアにかけて、また熱帯の南アジアに分布し、約40種がある。落葉または常緑の高木ないし低木で、果樹として数種が利用されている。温帯ではナツメZ. jujuba Mill. var. inermis Rehd.がもっともよく利用され、地中海寄りの南西ヨーロッパおよび中央アジアから中国にかけ栽培される。とくに中国では3000年以上前から食用および薬用として栽培されてきた。日本への渡来は古く、『本草和名(ほんぞうわみょう)』(918)、『和名抄』(934)などに「奈都女」または「奈豆女」として記され、江戸時代までに広く普及したが、家庭果樹の域を出なかった。落葉性で高さ15メートル、枝に長い刺針がある。葉は互生し、長楕円(ちょうだえん)から卵状披針(ひしん)形で、長さ2~3センチメートル、細かい鋸歯(きょし)をもち、3本の主脈がある。花は淡黄色で小さく、4~5月に葉腋(ようえき)に2~3個が集まって開く。果実は9~10月に熟し、暗赤褐色で5~30グラム、長円または卵形で中に核が1個ある。果肉は白から淡黄褐色で甘酸っぱい。生食のほか乾果として料理や菓子に用いる。乾果を砂糖や蜂蜜(はちみつ)で煮て乾燥したものを蜜棗(みつそう)とよび、よく利用される。本種のほか、果実は小さいが核が大きいサネブトナツメZ. jujuba Mill. var. spinosa (Bunge) Hu ex H.F.Chow(Z. vulgaris Lam. var. spinosus Bunge)がある。
また熱帯から亜熱帯ではネパール、インド、スリランカなどに自生しているインドナツメ(イヌナツメ)Z. mauritiana Lam.の利用が多い。常緑低木で、果実は橙(だいだい)色で楕円から円形、長さ2~4センチメートル、12月から翌年の2月に熟す。さわやかな酸味と甘さがあり、生食、甘煮など利用面は広い。
[飯塚宗夫 2019年12月13日]
薬用
成熟した果実を漢方では大棗(たいそう)と称して健胃、強壮、増血、止血、鎮静剤として胃弱、消化不良、下痢、紫斑(しはん)病、ノイローゼなどの治療に用いる。そのまま乾燥した果実は果皮が紅色なので紅棗(こうそう)といい、蒸したあとで乾燥したものは果皮が黒色となり、柔らかくなるので黒棗(こくそう)、烏棗(うそう)という。中国では果実以外に葉、樹皮、根も薬用にする。サネブトナツメの核中の2個のレンズ状の種子を酸棗仁(さんそうにん)といい、漢方で鎮静、催眠剤として過労による不眠症、神経症の治療に用いる。インドナツメはその果実を中国では南棗(なんそう)といい、大棗と同様に用いるが、品質は劣るとされる。
[長沢元夫 2019年12月13日]
文化史
ナツメは『万葉集』に2首(巻16.3830、3834)棗の名で取り上げられている。平安時代の『延喜式(えんぎしき)』には、干棗(ほしなつめ)を薬用や食用として、信濃(しなの)(長野県)、丹後(たんご)(京都府)、因幡(いなば)(鳥取県)、美作(みまさか)、備前(ともに岡山県)、阿波(あわ)(徳島県)から献上と載り、当時栽培が広まっていたことがわかる。また、『延喜式』には、正月上卯(じょうう)の日に供進された悪気払いの御杖(みづえ)(卯杖(うづえ))の一つにヒイラギ、ウメ、モモなどとともにナツメがある。ナツメやイヌナツメなどはインドでは古くから薬用にされ、『チャラカ本集』(2世紀ごろ)には下剤、発汗、強壮、催精などの処方箋(せん)が載る。仏典によると、釈迦(しゃか)はナイランジャナド川のほとりで断食苦行に入ったおり、初めは1日にナツメの実を1粒ずつ、のちに米を1粒ずつ、ついでゴマを1粒ずつとったあと断食したと伝わる。中国でも、栽培のもっとも古い果樹の一つで、『詩経』に果実の収穫期が、『礼記(らいき)』に材の堅さが書かれ、『史記』の「貨殖列伝」には、ナツメの1000本は1000戸の領主に匹敵すると出る。
[湯浅浩史 2019年12月13日]