大神高市麻呂 (おおみわのたけちまろ)
生没年:657?-706(斉明3?-慶雲3)
7世紀後半の官人。大三輪,三輪にも作る。利金の子。壬申の乱に大海人皇子方で活躍。686年(朱鳥1)9月天武天皇の殯宮に理官(おさむるつかさ)の事を奏す。時に直大肆。692年(持統6)2月および3月,中納言直大弐のとき,持統天皇の伊勢行幸を農事の妨げになるとして諫めた。702年(大宝2)正月従四位上で長門守,翌年6月左京大夫に転じ,706年2月その地位で没したが,壬申の年の功により従三位を贈られた。また筑紫国に赴任したこともある。《万葉集》《懐風藻》に歌,漢詩を残している。
執筆者:館野 和己
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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大神高市麻呂 おおみわの-たけちまろ
657-706 飛鳥(あすか)時代の公卿(くぎょう)。
斉明(さいめい)天皇3年生まれ。大神利金の子。壬申(じんしん)の乱で戦功をたてる。持統天皇6年中納言のとき,農事の妨げになるとして伊勢(いせ)行幸の中止を進言した。のち長門守(ながとのかみ),左京大夫。「懐風藻(かいふうそう)」「万葉集」に詩歌がある。慶雲(きょううん)3年2月6日死去。50歳。従三位を追贈された。姓は大三輪ともかく。
【格言など】農作の節(とき),車駕(みくるま)いまだ動くべからず(「日本書紀」)
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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