朝日日本歴史人物事典 「大神高市麻呂」の解説
大神高市麻呂
生年:斉明3(657)
7世紀から8世紀初の官僚。壬申の乱(672)では大海人皇子(のちの天武天皇)方で活躍。利金の子。安麻呂,狛麻呂の兄。姓は君,天武13(684)年の改姓で朝臣。三輪高市麻呂,大三輪高市麻呂とも書く。大海人側の大伴吹負軍に加わり,近江軍が大和に侵入した際,上ツ道を防衛し,箸墓(桜井市箸中)の付近で敵軍を壊滅させた。天武天皇の殯宮では理官(のちの治部省)の事を誄した。時に直大肆(従五位上)。持統6(692)年直大弐(従四位上)中納言の職にあって,天皇の伊勢行幸計画に対して,農事を妨げるとして直言し諫めたが容れられなかった。大宝2(702)年長門守に任じられたが,そのとき一族のものが三輪河の辺に集い,送別の宴を設けている(『万葉集』巻9)。その後筑紫国に赴任したこともあったらしいが,翌年左京大夫となっている。死去の際,壬申の乱の功により従三位を贈られた。『歌経標式』に歌があり,『懐風藻』にも漢詩を残すなど,当代随一の文人でもあった。<参考文献>直木孝次郎『壬申の乱』『持統天皇』
(狩野久)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報