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大給城 おぎゅうじょう

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日本の城がわかる事典の解説

おぎゅうじょう【大給城】

愛知県豊田市にあった山城(やまじろ)。国指定史跡(同市内の松平氏館跡、高月院とともに国指定史跡「松平氏遺跡」の一つ)。松平氏の発祥の地である松平郷にある城の一つで、「十八松平」あるいは「十四松平」とよばれた松平氏の支族の一つの大給松平氏の居城となった城である。応仁~文明年間(1467~86年)ごろ、土豪の長坂新左衛門の居館があったが、岩津城(岡崎市)に進出した松平宗家第3代の松平信光がこれを攻め落とし、大給松平氏初代の松平乗元の父親忠(信光の三男)に与え、乗元とその子乗正が1507~10年(永正4~7)に城郭としての体裁を整えたとされる。以後、乗勝・親乗・真乗・家乗と続く大給松平氏が居城とした。第5代の真乗から徳川家康に仕え、大給松平氏は家康の遠江(とおとうみ)進出や長篠・設楽ヶ原の戦い、高天神城の戦いなどに戦功を重ねた。この間、長篠・設楽ヶ原の戦いがあった1575年(天正3)に、大給城は滝脇松平家の襲撃を受け、その後城は放棄されて居城を移したといわれる。1590年(天正18)、第6代家乗の代に、家康関東移封に伴い上野国那波郡(群馬県)に移ったことから、大給城は廃城になった。大給城は標高204mの急峻な山上に築かれた城で、城域は東西220m、南北280mの規模。山頂付近の主郭に隣接して副郭があり、その南には居館のある曲輪(くるわ)が配されていた。また、2つの水ノ手曲輪のある特徴的な城だった。現在、城跡は城址公園となっているが、遺構の保存状態も良好で、曲輪・堀・土塁・櫓(やぐら)台・石垣・井戸などが残っている。名鉄三河線豊田市駅または名鉄本線岡崎市駅からバスで九久平下車、徒歩約2km。

出典|講談社
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