日本歴史地名大系 「大谷大堰」の解説 大谷大堰おおやおおぜき 山形県:西村山郡朝日町大谷村大谷大堰大谷は古来より水利に恵まれず、干害に悩んできた。幕府代官所などへも相談したが、解決の方策や援助がえられなかったため、寛文二年(一六六二)白田内記・大谷五郎兵衛・白田外記が中心となり、私財を投じて堰工事に着手した。大暮山(おおぐれやま)村・大沼(おおぬま)村の渓流から取水、岩石を切開き山をめぐり、一三年の歳月をかけ延宝三年(一六七五)深さ二―三尺、幅三―五尺、長さ二千八〇〇余間の堰路を完成させた(白田文書)。堰の完成により農民は精力的に荒地を開墾、水田を造成した。享保三年(一七一八)名主五郎兵衛・六郎右衛門、惣内のほか村民一同が堰普請造創の碑を大猿沢(おおさるさわ)に建立した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by