日本大百科全書(ニッポニカ) 「天桂伝尊」の意味・わかりやすい解説
天桂伝尊
てんけいでんそん
(1648―1735)
江戸中期の曹洞(そうとう)宗の僧。紀伊(和歌山県)に生まれ8歳で得度(とくど)した。姓は大原氏。1677年(延宝5)駿河(するが)(静岡県)静居(じょうこ)寺の五峰海音(ごほうかいおん)に嗣法(しほう)し徳化をあげたが、のち、近江(おうみ)(滋賀県)の大雲寺、浪花(なにわ)(大阪府)の蔵鷺庵(ぞうろあん)、阿波(あわ)(徳島県)の丈六寺などに住し、摂津(大阪府)の陽松庵(ようしょうあん)に寂した。気性すこぶる激しく、道元の『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』を批判的に研究し、面授嗣法の問題について、卍山道白(まんざんどうはく)の所説を論駁(ろんばく)した。『正法眼蔵弁註(べんちゅう)』20巻、『驢耳弾琴(ろじだんぎん)』7巻、『碧巌集舐犢鈔(へきがんしゅうしとくしょう)』5巻、『海水一滴』5巻、『報恩篇(へん)』3巻などの著述がある。
[鈴木格禪 2017年9月19日]