日本大百科全書(ニッポニカ) 「天満紡績争議」の意味・わかりやすい解説
天満紡績争議
てんまぼうせきそうぎ
機械制大工場における早期のストライキの代表例。天満紡績会社は1887年(明治20)に設立され、翌年大阪府西成(にしなり)郡川崎村で開業した。89年10月30日から翌月6日にかけて、おりからの米価騰貴のなかで賃金引上げなどを要求して、300~400名が職場を放棄したが、憲兵の説諭と会社側の賃上げの約束とによって収束した。また、94年1月26日、開業早々の第二工場において、賞与の出ないことと技師長に対する不満から30名ほどが食堂に立てこもって休業を呼びかけ、13名が勾引(こういん)されたが、同日の夜業は3分の1運転にとどまった。争議は失敗に終わり、4名の男工が2か月の重禁錮を科されたが、多数の職工が義捐(ぎえん)金を醵出(きょしゅつ)したといわれる。
[高村直助]