日本歴史地名大系 「天谷村」の解説 天谷村あまだにむら 兵庫県:出石郡但東町天谷村[現在地名]但東町天谷河本(こうもと)村の南東、河本川最上流域の山間を占める。河本川沿いに南下し、丹波国境の天谷峠(「丹波志」では牛ノ尾峠)を越えて同国天田(あまた)郡板生(いとう)村(現京都府夜久野町)に至る牛馬道や東方の佐々木(ささき)村に越える山道が通じていた。郷村帳類では西隣の西谷(にしだに)村の高を含んで高付される場合もあった(天保郷帳など)。文明一〇年(一四七八)八月吉日付播磨国広峯(ひろみね)神社(現姫路市)の但馬国檀那村付注文(肥塚文書)に「一あま谷村 やと おか衛門」とみえ、当村に広峯神社の檀那(信者)がおり、同神社の御師が訪れていたことが判明する。「やと」(宿)は、この場合は御師が当地で宿泊する家とみられる。近世の領主の変遷は水石(みずし)村に同じ。 天谷村あまだんむら 福井県:丹生郡朝日町天谷村[現在地名]朝日町天谷越知(おち)川流域の糸生(いとう)谷の最北端にある。北は宿堂(しゆくどう)村(現福井市)。文明一〇年(一四七八)一二月二五日付「越知山年中行事」(越知神社文書)には「雨谷」と記される。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では伊藤(いとう)郷に含まれたと考えられる。正保郷帳に村名がみえ、田方六二石余・畠方五九石余。初め福井藩領、のち旗本小林権大夫の知行所となる。「越前国名蹟考」によれば、「奥上・奥中・奥下」の三ヵ所に集落があった。南の真木(まき)村との境に天谷鉱泉がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by