太安万侶墓(読み)おおのやすまろのはか

日本歴史地名大系 「太安万侶墓」の解説

太安万侶墓
おおのやすまろのはか

[現在地名]奈良市此瀬町

此瀬このせ集落西方東西に延びる丘陵の南斜面中腹にある。昭和五四年(一九七九)一月偶然に発見され、発掘調査された。茶畑であったため墳墓外形は判然としない。直径約四・五メートルの円形盛土を行ったと思われるが、さほど顕著な墳丘ではなかった。埋葬施設は墳丘のほぼ中央に一辺約二メートル、ほぼ正方形の土壙を垂直に掘込み、その中央部やや北寄りに木炭を敷き、墓誌を置き、その上に骨を納めた木櫃を安置し、周囲を厚さ約二〇センチの木炭で覆う。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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