太源宗真(読み)たいげん・そうしん

朝日日本歴史人物事典 「太源宗真」の解説

太源宗真

没年応安4/建徳2.11.20(1371.12.27)
生年:生年不詳
鎌倉後期から南北朝期の曹洞宗禅僧一説に応安3/建徳1(1370)年死亡。加賀(石川県)の生まれ。総持寺峨山韶碩に参じて,貞和5/正平4(1349)年,法を嗣ぐ。貞治4/正平20(1365)年総持寺輪住制の最初の住持として3世を継いだ。のちに永光寺13世になる。総持寺五院のひとつ普蔵院や加賀仏陀寺を開創。宗祖の道元が排した五位思想を曹洞宗の宗乗と明言する。のちに太源派は曹洞宗の主流を形成した峨山派のなかで,通幻派に次ぐ第2の門派に発展する。<参考文献>卍元師蛮延宝伝灯録』『本朝高僧伝

(竹内弘道)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「太源宗真」の解説

太源宗真 たいげん-そうしん

?-1370 南北朝時代の僧。
曹洞(そうとう)宗。太源派の祖。能登(のと)(石川県)総持寺の峨山韶碩(がさん-じょうせき)の法をつぎ,峨山の死後総持寺3世となる。のち能登永光(ようこう)寺の住持をへて加賀(石川県)に仏陀寺をひらいた。応安3=建徳元年11月20日死去。加賀(石川県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「太源宗真」の意味・わかりやすい解説

太源宗真
たいげんそうしん

[生]?
[没]建徳2=応安4(1371).10.
南北朝時代の曹洞宗の僧。総持寺の峨山紹碩門下二十五哲の一人。のち総持寺第3世となり,永光寺,仏陀寺を歴任した。彼の法系を太源派と呼ぶ。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

潮力発電

潮の干満の差の大きい所で、満潮時に蓄えた海水を干潮時に放流し、水力発電と同じ原理でタービンを回す発電方式。潮汐ちょうせき発電。...

潮力発電の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android