奈良奉行所跡(読み)ならぶぎようしよあと

日本歴史地名大系 「奈良奉行所跡」の解説

奈良奉行所跡
ならぶぎようしよあと

[現在地名]奈良市北魚屋西町

現奈良女子大学の所在地にあり、南都奉行所ともいわれた。奉行所の屋敷総坪数八六九五・五坪のほか道敷三六八坪、北門番所一八坪合わせて九〇八一・五坪、四方を堀あるいは佐保川で囲み、堀幅は東七間、西六間、南九間、北八間、堀の内側は東西七六・五間、南北八〇間で、南に黒門、北に赤門があり、北魚屋西町に牢屋があった。

天正一三年(一五八五)豊臣秀長が郡山に入部し井上高清を代官として奈良に入れたのが奈良奉行の前身とされる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

地表近くで見られる蜃気楼(しんきろう)現象の一種。晩春から夏にかけて、よく晴れた日に熱せられた道路のアスファルト面を遠くから視線を低くして見ると、水たまりがあるように見えることがある。これは地面付近の...

逃げ水の用語解説を読む