赤門(読み)アカモン

デジタル大辞泉 「赤門」の意味・読み・例文・類語

あか‐もん【赤門】

朱塗りの門。江戸時代将軍家の娘を奥方に迎えた大名建造御守殿門ごしゅでんもん

東京大学にある朱塗りの門。もと加賀藩前田家上屋敷御守殿門文政10年(1827)、将軍徳川家斉とくがわいえなりの娘溶姫ようひめが前田家に嫁いだ時に建てられた。
東京大学俗称。「赤門出」

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精選版 日本国語大辞典 「赤門」の意味・読み・例文・類語

あか‐もん【赤門】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙
    1. 朱塗りの門。近世では将軍家から奥方を迎えた大名が建てた御守殿門(ごしゅでんもん)
      1. [初出の実例]「二三段石段をあがって千社ふだのべたべた貼りついた赤門をくぐれば」(出典:銀の匙(1913‐15)〈中勘助〉前)
    2. 光沢があってやや黄色みを帯びた印刷用の洋紙。はじめ輸入したイギリスの製品に赤い門の商標があったからという。
    3. 女性の陰部をいう隠語
      1. [初出の実例]「誰だってアカ門(女陰)出だ」(出典:いやな感じ(1960‐63)〈高見順〉二)
  2. [ 2 ]
    1. [ 一 ] 東京大学本部の朱塗りの通用門。もと加賀藩前田家の御守殿門(ごしゅでんもん)
      1. 赤門<b>[ 二 ]</b><b>[ 一 ]</b>〈旧前田藩邸表門〉
        赤門[ 二 ][ 一 ]〈旧前田藩邸表門〉
    2. [ 二 ] 東京大学の俗称。
      1. [初出の実例]「何ぞといふと赤門の学士会のと同類の力を頼りにして威張たがる」(出典:社会百面相(1902)〈内田魯庵〉犬物語)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「赤門」の意味・わかりやすい解説

赤門
あかもん

御守(ごしゅ)(主)殿(でん)門のことをいう。江戸時代、大名家に嫁した将軍家の子女、あるいはその居住する奥御殿を御守殿あるいは御住居(おすまい)と称し、その御殿の門を丹塗(にぬ)りにしたところから俗に赤門とよばれた。東京大学の代名詞となった東京都文京区本郷の赤門は現存する唯一のものである。ここはもと加賀金沢前田家の上屋敷であり、1827年(文政10)に11代将軍徳川家斉(いえなり)の女(むすめ)溶姫が13代藩主前田斉泰(なりやす)に輿入(こしい)れをする際、その前年正門黒門)の南部に造営され、このとき門前の町家が引き払われた。門構えは、中央に切妻造本瓦葺(きりづまづくりほんかわらぶ)きの薬医(やくい)門があり、その左右には繋ぎ塀(つなぎべい)に接して唐破風(からはふ)造の番所が置かれていた。1877年(明治10)東京大学に移管され、1961年(昭和36)に解体修理が行われた。現在は国の重要文化財に指定されている。

[北原章男]

『『三田村鳶魚全集 第1巻』(1976・中央公論社)』

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百科事典マイペディア 「赤門」の意味・わかりやすい解説

赤門【あかもん】

東京都文京区,東京大学内にある門。大学の敷地には江戸時代加賀藩前田家の屋敷があり,1827年将軍家斉(いえなり)の娘が前田家に嫁した際上屋敷の御守殿門として建造。中央に薬医門,左右に離番所がある。1877年東京大学に移管,以来同大学の俗称となる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「赤門」の意味・わかりやすい解説

赤門
あかもん

東京都文京区,東京大学の西南隅にある門。徳川家斉の娘溶姫が前田家に嫁したとき造られ,文政 10 (1827) 年に完成。両番所つきの規模の大きい薬医門。朱漆塗なのでこの名がある。東京大学が前田邸跡に造られたのでその管理となり,また東京大学の別称となった。

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